2019年12月28日土曜日

大阪リハビリ散歩(2019.12.28)

ほほ一ヶ月半ぶりの出撃だ。こんな長期の停滞は初めての経験だ。理由は先月の16日に起きた事故。巨大化したキンモクセイの剪定中に脚立もろとも横倒し。背中をしたたか打った。

その直後はある程度動けたけど、数日後、朝布団から起きるとき痛みが酷く、ついに近所の整形外科。診断は背骨の圧迫骨折。「出来るだけ安静を」との医者の言葉を素直に守り、オーダーコルセットで事故から一ヶ月半。なんとか痛みはなくなった。でも体の力はまだ復活してない。

「出来るだけ安静」とはどうすることか?自宅でグタグタ、テレビ、読書、昼寝なら別の意味で体に悪そうだ。と、言うわけで、久しぶりに町に出た。例年、この季節は青春18きっぷであちこち徘徊するんだけど、今回は18切符で5回出撃の自信はない。

とりあえず近鉄株主優待チケットで大阪方面に出撃してみた。大阪の町をふらふら歩き、馴染みの店に顔をだし、帰りに大和八木のだんご庄の団子を買って帰還した。一ヶ月半の「出来るだけ安静」の生活でかなり体が弱ったことを実感した。

上半身に力を入れない一ヶ月半の生活はかなり体幹にダメージを与えた。手すりのない階段の下りが不安定だ。年を取って寝込むことによって体が衰えるということをよく聞いていたけど、まさにそれを体感する。

今回の事故を良い経験として、いつまでもしぶとく動けるように暮らしたい。今年は夏にアデノウイルスで1ヶ月、年末に圧迫骨折で2ヶ月の計3か月の不自由生活。一年の4分の1を不自由な時間を過ごしてしまった。そんな不自由な時間を過ごすことが今後増えるのどろうなあとチョイと気にしている。でも来年は行動を慎んで頑張るぞっと、、、。


【話には聞いていたけど大和八木の「だんご庄」は人気店らしい。閉店の一時間ほど前だけど売り切れの看板。しかし店の前には行列ができている。不審に思いつつ行列整理のオッチャンに事情を聞けば、売り切れが近いので今並んでも買える保障がないと言う。行列は十数人だけど、各自何本だんごを買うかわからない。無駄になっても良いなら並んでも良いと言う。チョイと迷ったけどせっかく来たので並んでみた。ちょっとした賭けだけどなんとか十本ゲット。あと残り20本というきわどい状況だった。一緒に並んだオネエチャン二人組と喜びあう事が出来て幸せだった。1本75円、10本購入】

2019年11月4日月曜日

北信濃から一筆書(2019.11.4-6)

【1日目・11/4(月)道の駅・千曲川車中泊】
今年の10月は日本全国大荒れ。長野周辺の千曲川も氾濫して大変なことになっている。長野からアップルラインを通って行く志賀高原や飯山方面は私にとって最も好きな地域の一つだ。特に緩やかに流れる千曲川が美しい。そんな地域が大変なことになっている、災害から半月以上たっているけどボランティアの人手も足りない様だ。だったらボランティアに出かけてみるか?と出撃した。

久々の車中泊の態勢を整え、作業用ゴム手袋、長靴を用意して南長野運動公園の災害ボランティアセンターを目指す。途中で見た千曲川の河原は茶色いゴミが木々にまとわりつき、さながら茶色の「モリゾー」が林立した感じ。中にはリンゴの赤い実を多数抱えたモリゾーが悲しい。

とりあえず災害ボランティアセンターで情報収集。被害は北部アップルライン周辺に集中しているらしい。とりあえずこの日は情報収集を行い、野沢温泉で一風呂浴びて道の駅・千曲川で車中泊。

と、寝る前までは考えていた。しかし結論から言うとボランティア活動は行わず、その後の二日間は北信濃から上越方面の紅葉見物に切り替えてしまった。理由は「道の駅・千曲川の一夜があまりにも寒く、気合が失せた」「あまりにも天気が良く」「あまりにも紅葉が美しかった」ということだ。まったく自分勝手で申し訳ないけど、ボランティアの気持ちとホームセンターで買った作業用ゴム手袋は次回まで取っておこう。

◆行動記録
7:00 出発
10:20 木曽福島(118キロ)
11:00 給油(157キロ)
17:00 野沢温泉(305キロ)

【グーグルマップで長野運動公園を目指したら聖高原越えのルートが示された。初めてのルートだけど私の好きな感じの道だ。最近、私好みのルートが示されることが多い。AI活用で私の好みが把握されているのかな?】

【野沢温泉では駐車場に苦労したけど、横落の湯の下に無料駐車場があった。スキーシーズンは有料だけど・・・。】

【横落駐車場からは妙高が見える。その右の白い山は火打かな・・・。】


【2日目・11/5(火)道の駅・草津運動公園車中泊】
スペインから帰って以来、時差ボケ気味だったけど、前日しっかり行動(運転)したおかげで時差ボケ解消。爽やかな目覚めだ。どこへ行こうか迷ったけど、とりあえず八海山を目指す。天気が良かったらロープウエイ利用で山頂を目指す計画だ。八海山ロープウエイに着いた時、山頂は雲に覆われていた。でも紅葉は真っ盛り。特にブナ系の黄色が美しい。日本全国、秋晴れの天気予報だけど新潟方面のみ曇りがちらしい。冬型の気圧配置の走りのようだ。

南に下がれば天気も良くなると考えて谷川岳方面に転進。時間的には山頂は無理なので、せめて一ノ倉沢の紅葉でも見たいと考えた。初めて訪れた一ノ倉沢だけど、さすがに全国に名前をとどろかせるだけの凄い岸壁だ。天気は快晴。青空に前夜降った稜線の雪が美しい。期待した紅葉は少し遅く、「一週間前が最盛期だった」と地元のガイドが言っていた。しみじみ紅葉見物は難しい。

その後、湯沢から国道17号線で三国峠を越えて草津温泉に戻ったけど、この三国街道周辺の紅葉が一番美しかった。見慣れた飛騨方面に比べて黄色が目立つ紅葉だけど、この地域は人工林が少なく全山黄色の木々に覆われている。急ぐ車は関越自動車道を通るらしく、この下道を通る車は紅葉見物が多いらしい。あおられることもなくノンビリドライブを楽しめた。

◆行動記録
7:00 道の駅千曲川
8:30 野沢温泉発
10:50 八海山発(399キロ)
12:45 給油(468キロ)
    三国峠
13:45 谷川岳ロープウェイ着
   (駐車場500円)
   (電気バス500円)
15:30 発
17:45 草津運動公園(580キロ)


【八海山ロープウエイ周辺は紅葉真っ盛り。団体バスツアーも賑やかだった。しかし、山頂付近は雲の中。】


【三国街道の峠付近の紅葉が今回は一番だった。道の駅・みつまたから撮影】


【さすが一ノ倉沢、すごい、でも写真は逆光で上手く撮れない、クヤシイ】

【天神平ロープウエイ乗場の駐車場に車を止めそこから3.5キロで一ノ倉沢。歩くと登りなので片道1時間ほど。たまたま電動バスがあったので乗ることができた。定員8名の8番目。ラッキーだった。それによりガイドの説明付きで所要時間15分。料金はガイド料として500円】


【ロープウエー乗場周辺の紅葉。順光だけどそんなに上手く撮れない。クヤシイ。】


【3日目・11/6(水)帰還】
野沢、草津と無料公衆浴場二連泊の贅沢湯治も済ませ、後は帰るだけ。志賀高原を越えてきた道を戻るか?浅間山、八ヶ岳の南を回り一筆書きで帰るか?迷ったけど、一筆書きルートの方が紅葉は良さそうだ。

思った通り、八ヶ岳の東側の野辺山から瑞牆山当たりの紅葉は素晴らしかった。特に八ヶ岳の南東側に広がる高原は広々して気持ちが良い。

三日間の旅だったけど好天に恵まれて紅葉も美しかった。しかし、ガラケイで取る写真はイマイチだ。ちゃんとしたデジカメに変えることも考えるけど荷物が増えるしなあ・・・。悩ましい。

◆行動記録
5:30 起床
   朝食(コーヒー、ラーメン)
  白旗の湯(駐車場200円)
7:45 草津温泉発
   鬼押ハイウェイ(370円280円)
8:30 鬼押出し(613キロ)
9:50 佐久ふれあい広場(646キロ)
11:30 廻り目平(708キロ)
   ゲートあり、紅葉遅終盤カンバ系の葉は落ちている
12:30 瑞牆山自然公園(739キロ)
13:00 発

14:30 北杜:給油(765キロ)
15:40 杖突峠(811キロ)
16:40 権兵衛トンネル通行止め
   伊那IC-春日井IC(3000円)
19:30 帰宅(996キロ)

【白幡の湯で朝湯を楽しみ行動開始。前夜、チョイと覗いたけど混雑していた。そのため風呂は諦め翌朝再挑戦。混雑もなく快適な朝湯だった。】

【鬼押しハイウエイから望む浅間山。写真右側のゴツゴツが鬼押し出し】

【野辺山当たりの高原から望む八ヶ岳。大きなトラクターが走り回る】

【季節外れの緑の絨毯。聞けば麦だとのこと。これから雪の季節のこの麦は肥料として土にすき込むらしい。緑肥と言うらしい。】

【瑞牆山自然公園キャンプ場から瑞牆山を望む。良さそうなキャンプ場だ。】

2019年10月20日日曜日

スペイン旅行(2019.10.20-27)

【1日目・10/20(日)マドリッド泊】出発
中部国際空港はLCCを新設の第2ターミナルに追いやったので、国際線は空いていると思ったのは甘かった。国際線の出発ロビーは大混雑。出国審査も顔認証システムで戸惑うことも多かった。連休でもないのに海外旅行者の多さにも驚いた。その多くは女性と高齢者だ。

ヘルシンキに着いた。空港の周りには曇り空の下にカラマツの様な黄色に色づいた針葉樹の森が広がる。時間は時差マイナス6時間で午後2時半。さすがに北欧のヘルシンキ、雨も降っていたためかなんとなく最果て感が漂う。でも空港のトランジットは分かりやすかった。

乗り換えた飛行機はイベリア航空。しかし飛行機はなかなか飛び立たない。まもなく離陸予定から1時間経つけど飛び立たない。乗客は日本人とラテン系。日本人は旅のプレッシャーからクレームはない。ラテン系は何も感じないようで、楽しげにおしゃべりしている。

待つことしばし。午後6時半(マドリッド時間はサマータイム時差1時間で午後5時半)、1時間半以上遅れで飛行機は飛び立った。遅れた理由はわからない。そして、なぜか5時間近くのフライトで午後10時20分マドリッドに着いた。予定ではホテルに入っている時間帯だ。

後は手荷物をピックアップしてホテルに入るだけと考えたのは甘かった。待てど暮せど荷物が出ない。その時、衝撃的な情報。ヘルシンキに百個近くのスーツケースが残っているとか、、、。これは事件だ。かなりの問題を抱えつつマドリッドの夜は更けていく。

◆行動記録
 8:00 集合 中部国際空港
10:30(4:30)出発
   昼食ー機内食
14:30 ヘルシンキ着 搭乗時間約10時間
18:30(17:30) 同発
22:20 マドリッド着 搭乗時間約5時間
深夜 宿泊ホテル着(マドリッド プラガ)

【A350のシート背面ディスプレイは良く出来ている。映画「アラジン」を見た。足元も広く快適だった。】

【ヘルシンキ空港、チョイと暗い】

【マドリッド空港。待てど暮らせど荷物は出ない】

【2日目・10/21(月)マドリッド泊】
午前中はトレド観光。天気晴朗なるもシャツ一枚ではちょい寒い。とりあえず町並みを見下ろす展望スポットで写真タイム。その後、サント・トメ教会でグレコの絵を見たけど、どんな絵だったか思い出せない。教会を出て、裏道徘徊後、大聖堂の外観を見る。正面から見た大聖堂の塔が左右非対称なのが面白かった。建築に長い時間が掛ったので様式が変わったとのことだけど、それもあやふやな記憶だ。要するにこの旅ではあちこち連れ回されたので、記憶が定かでない。若いころならいざ知らず加齢とともに我が頭脳の記憶領域が確実に痛みつつあるのだ。

さらにスペインの歴史を聞くと登場人物があまりにも多い。ナンタラ何世、聖教者ナンタラなど、西洋の歴史に不案内な私には理解不能。とりあえず700年ごろからから700年以上イスラムに支配され、1500年頃から北から段階的にキリスト教が国土奪還したとのことだけど、これもはっきりしない。

夕食時、添乗員からスーツケースはまだ見つからないとの悲しい情報。開き直ってホテルに戻ってからとりあえず近くのショッピングモールへ下着などの必需品を買い出しに出る。添乗員も焦りまくって空港へ探しに行く。添乗員って他人事ながら大変な仕事だなあ・・・。

深夜11時ごろ、部屋の外が騒がしい。全部のスーツケース回収に成功したらしい。買出しに出た必需品は無駄になったけど、ホッとした空気が流れた。買った物は保険で補償されるらしい。私の買い物はh&mのTシャツ、3枚組パンツ、靴下で20ユーロ程度。こんなことならもっと高いものを買えばよかった。せめて、隣りのザラで買えばよかったと、貧乏性の性格を反省。

◆行動記録
 8:15 バスでホテル発
午前 トレド観光
11:00 マドリッドへ帰還 
12:30 王宮地下駐車場
昼食(タパス)タパス7品、アイスクリーム、美味しかった。
午後 マドリッド観光
 プラド美術館、ベラスケス、ゴヤ、グレコ
 ソフィア王妃芸術センター ピカソゲルニカ
夕食(レストラン)サラダ、チキン、アイスクリーム
20:30 スーツケーストラブルによる近くのショッピングモールで買出し(Tシャツ、靴下、パンツ)
   スーパーでソフトドリンク
20:15 宿泊ホテル着(マドリッド プラガ) 荷物準備


【トレガ全景】


【トレガにはユダヤ人も住んでいる】


【トレガ大聖堂(多分)、左右の尖塔の様式が異なる。】


【プラド美術館(多分)、ベラスケスの「ラス・メニーナス」、ゴヤ「裸のマヤ」が記憶に残る】

【ソフィア王妃芸術センター、ピカソ「ゲルニカ」】

【深夜戻ったスーツケース、ドイツ方面に行っていたらしい】

【3日目・10/22(火)グラナダ泊】
昨日深夜、ー全員のスーツケースが届いた。やれやれ。そして朝、また事件。出発時点でエレベーターが大混雑。5階から降りれない。スーツケースが邪魔だ。こんなことなら発見が一日遅れてグラナダまで持ってきてほしかったなあ。大人数のロビーのエレベーターは3基。ロビーは南米系の観光客で大混雑。これでは足りない。

いろいろ大汗かきつつなんとか駅に向かいAVBに乗り込む。窓の外はオリーブ畑。どこまで行ってもオリーブ畑。のどかな景色が広がるけど列車のトイレはトラブル中。マドリッドは曇っていたけどコルドバは快晴。時間は11時30分。

コルドバではお決まりのメスキータ観光。メスキータはモスクのことと初めて知った。ローマ、ゲルマン、イスラム、キリスト教と支配者が目まぐるしく変わったこの地を理解するには歴史を理解することが必要だがナントカ5世、聖者ナントカなど出演決定多数のこの地の歴史は一筋縄ではいかない。

コルドバからはオリーブ畑の間の道をひたすらバスでグラナダへ向かう。途中のドライブインで今年のアルベキーナのエクストラバージンオイルを買った。羊のチーズ(マンチェゴ)は買いたかったけど要冷蔵なので帰国直前に買うことにした。

平穏な観光が続くと思いきや、トラブルは続いた。当初の計画は夕食を済ませ8時からのアルハンブル夜間入場の予定。それに向けて6時から夕食。その夕食のレストランで食事開始のその刹那、アルハンブル入場間が7時はんと判明。このまま食事を続けると入場時間に間に合わない。

最近のアルハンブル宮殿は観覧希望者が多く、入場チケットが入手困難と聞いていた。その為に夜間入場となった訳だがアルハンブラに入場できないとなるとこれは事件だ。食事を宮殿見学の後に変更し、大急ぎで宮殿に向かった。その後、判明した事だがアルハンブル宮殿の見学時間は夜8時まで。何で午後8時から夜間入場の計画を立てたのか不思議だ。

それやこれやの大騒ぎのアルハンブル宮殿夜間入場だったけど宮殿は美しかった。しかし、できれば昼間ゆっくり見学したいものだ。しかし、参加メンバー37名は大人の対応。若い添乗員にクレームをつけることもなく、粛々と変化に対応していく。まさに大人のチームだ。素晴らしいとも言えるけど、要するに遊びに来てまでも険しい空気に身を置きたくないという心境なのかもしれないね。少なくとも私はそんな感じだった。

さてさて、トラブルはこれでは収束するのか?旅は中盤戦にさしかかったけど、ちょっと怖い。このあと平穏に帰国できるのか?スリルとサスペンスの旅はまだまだ続く。

◆行動記録
8:00 バスでホテル発
  超特急列車AVEでコルドバへ
  バスでコルドバ観光(メスキータ、花の小径)
午後 昼食(ガスパチョ、ポーク、スイカ)その後グラナダへ
   ドライヴインでオリーブオイル購入(今年のアルベキーナ)
   一旦ホテルチェックイン
   夕食(レストラン)キャンセル
   アルハンブラ宮殿
   夕食(ポタージュ的スープ、牛の煮込み、ムース的ケーキ)
22:30 宿泊ホテル着(グラナダ マシア コンドル)

【超特急AVE】

【メスキータ尖塔】
【メスキータ内部】

【花の小径、尖塔が見える】

【メスキータ遠望】

【アルハンブラ宮殿の天井、ここで携帯の電池切れ】

【4日目・10/23(水)グラナダ泊】
この日は出発が遅い。連日の早朝から深夜までの強行スケジュールだったのでこの日はゆっくりする作戦のようだ。しかし、強行スケジュールに慣れてしまった数名は、添乗員に連れられて朝の散歩に出た。朝の大聖堂、町並み、市場、素晴らしい。観光地より街歩きの方が私は好きだ。

その後、バスでオリーブ畑の間を走り、お昼ちょっと前にミハスに着いた。心配した天気もなんとかもち、日射しも出てきた。でも、写真で見るような青い海が見れなかったのは残念だった。ミハスは単なる観光地と侮っていたけどバルでゆっくり食事し、世界一小さい闘牛場で座っているのは気分が良かった。まさに「アンダルシアの風に吹かれてアンチョビ肴にビノティント2杯を楽しむ」感じ。

グラナダに戻ると雨。事前のイメージとしては南欧の明るい日射しを連想していたけど、この時期は特に雨が多いらしい。標高も900m近くシエラネバダ山脈の近くの山岳都市と言ったら言い過ぎだけどそんな感じの街だった。何事も自分の目で見ると感じることも多い。

朝には入れなかった大聖堂に入ってみた。日本語のガイドマシン付きで10ユーロ。最初のコーナから詳細な説明が続くけど歴史のわからない私にとってはチンプンカンプン。まさに「言語明瞭なるも意味不明」であった。カテドラル内部は巨大なドームの下に豪華絢爛キンキラキン。キリスト教徒はなんでこんなに力づくの建造物を作るのだろうか?日本人の私には理解できない。この感覚はバルセロナのサグラダファミリアでも同じだった。

マドリッドで食べたタパスが美味しかったので、この日の夕食はツアーのレストランを断ってバル巡りとした。タパスとワインの食事は安くてうまいけど、3回食べたらチョイと飽きてきた。

この日の夜はフラメンコショー。次から次へとスペイン観光が押し寄せる。初めて見るフラメンコショーは迫力満点。差別され続けたジプシーの悲哀や苦痛からなのか怖いぐらいに力みかえる。私のイメージしていたものとはかなり違っていたけど、これが本物なのかなあ、、、、

深夜、日本からの電話で起こされた。「ショートメールを送ったけど、返事がないので電話した」とのこと。海外にいる旨話した。ショートメールはつながらないと思っていた。その直後、別の知人からショートメールが入った。多分、同じキャリアに限りショートメールは繋がるのかもしれない。帰国したら確かめたい。

◆行動記録
7:45 朝食
   散歩(グラナダ街歩き)
9:50 出発(バスでホテル発)
   ミハス自由行動
   昼食:タパス2(アンチョビ、タコ)赤ワイン
   ホテルに帰還後自由行動(スーパー、大聖堂、バル、カフェ)AR
   夕食キャンセルし、バルでとる(タパス2、生ハムサンド、赤ワイン2杯)
8:45 ホテルロビー集合
   フラメンコショー
23:30 宿泊ホテル着(グラナダ マシア コンドル) 荷物準備

【グラナダ大聖堂】

【コロンブス銅像、バルセロナにも巨大なコロンブス像があったなあ。】

【大聖堂正面】

【ミノス、お約束の白い街】

【タパス二種(アンチョビ、イカ)、イカが特に美味い】

【猫が寄ってくる。アンチョビのフライをあげた】

【スペインで一番小さい闘牛場】

【フラメンコも見た】

【5日目・10/24(木)バルセロナ泊】
昨夜はフラメンコで帰還は深夜。スペイン入してからハードな毎日だ。トラブルも多発。後半戦開始においてゼロトラブルを祈ったものの、朝一番からトラブル発生。スーツケースのカギがあかない。どうしても開かない。一瞬顔が青ざめる。鍵は力ずくで頑張り何とか開いた。でも、爪の先が少し欠けた。

その後、バルセロナへ向かうため空港へ。グラナダの空港は狭いが保安検査が超厳しい。ポケットから出し忘れたコインが引っかかった。ボディーチェックが始まった。そのボディーチェックが入念だ。体の隅々までまさぐられ、紙幣しか入ってない財布も取り上げられた。そしてなかなか財布が返って来ない。やっと財布が戻ってきたとき嬉し涙を禁じ得なかった。大げさだけど。その後、財布の中身を確認したのは言うまでもない。

この日のメインはサグラダファミリアの見学だ。そこでも保安検査がある。グラナダ空港での失敗から慎重に金属関係の物をバッグに入れて、一発通過を目指したものの、ここでもボディーチェック。なんでこうなるの?私の人相が悪いのか?チョイと落ち込みつつ考えてみた。結論としては私の山用のズボンと山用のシャツのジッパーが金属探知機に反応しているのかもしれない。日本では問題ないのだがね。それを考慮し最終日の帰国時の保安検査は一発通過を目指すとするか・・・。

バルセロナの町は観光客で溢れている。当然、サグラダファミリアも大混雑。大阪の道頓堀、京都の金閣寺、伏見稲荷を歩く感じ。バルセロナはスリが多いと聞いていた。添乗員からは事あるごとに「スリ」に関する注意が続く。

サグラダファミリアは巨大な建物だった。内部のステンドグラスから差し込む夕日も綺麗だった。でも、私にとっては何となく違和感のある建物だ。ちょいと前に訪れた室生寺の方が私は好きだ。その後訪れた雑貨店のトイレにショルダーバックを置き忘れる大チョンボ。幸いすぐに見つかったので良かったけれど、それ以後、何があってもショルダバックを首から外すことは止めると固い決意。食事中も外さない。齢とともに首からぶら下げるものが増えてきて辛い。ついでにトラブル報告を一つ。添乗員の案内棒が壊れた。

◆行動記録
7:30 集合
7:40 ホテル発バスで空港へ
9:50 離陸バルセロナ
11:20 バルセロナ着
      昼食(ピンチョス5品)
      バスでバルセロナ観光(サグラダファミリア)
   夕食(謎の緑色クリームスープ、カジキマグロのグリル、フルーツポンチ、ビノティント2)
19:45 宿泊ホテル着(バルセロナ デルビー)

【飛行機でバルセロナへ】

【バルセロナ大聖堂】

【カタルーニャ音楽堂】

【カサミラ】

【カサバトリャ、内部も見学】

【サグラダファミリア、やたら巨大だ】

【サグラダファミリア内部】

【ステンドグラスから差し込む夕日が美しい】


【6日目・10/25(金)バルセロナ泊】
今日はこの旅の実質的な最終日。明日は朝から帰国の移動となる。この日も早朝起床のハードスケジュール。グエル公園、サンパウ病院、サンジョセップ市場とサクサク回り、サクサク、オリーブオイル、チーズを買ってお昼ちょっと前自由行動となった。37名の団体行動からやっと解放されて自由になった。

夕食までの7時間、何をするか?考えたけどとりあえず大聖堂あたりの町歩きからピカソ美術館へ向かってみる。もらった地図を頼りに向かったものの細い路地が入りくみ道に迷った。人に聞こうと思えども観光客と地元民の区別がつかない。

考えたすえ、美人の店の従業員と犬を連れたおじいさんにターゲットを定めた。「ムセオ、ピカソ」「ムセオ、ピカソ」を連呼しなんとかピカソ美術館にたどり着いた。

ピカソ美術館は地図では広い道に面しているように書かれていたけど、実際は小さな路地の片隅にあった。チケットを買うとき65歳以上は割り引きがあった。ウレシイ。12ユーロが7ユーロ。5ユーロの割り引きは大きい。パスポートなどの年齢証明不要。しかし、入口のオニイチャンが一目見るだけで割り引き対象と判断して声かけしてくれた。通常、日本人は若く見られるんだけどなあ・・・。チョイと寂しい。

◆行動記録
6:15 モーニングコール
7:00 朝食開始
8:00 ホテル発(バスでバルセロナ市内観光)
10:00 グエル公園発(ベンチが良かった。天気快晴街の向こうに海が光る)
10:10 サンパウ病院発
    サンジョセップ市場
    (チーズ、トリュフ入りオリーブオイル、タコピンチョス、乾燥ニンニク、ニンニクパウダー、)
    その後、自由行動(昼食:ムール貝、焼アスパラ、ビノティント)
    ピカソ美術館
    大聖堂近くの有名店でチョリス、ホットチョコレート、カフェインアメリカン
    カタルーニャ広場前エルコルテイングレスで食料購入
    (ニンニク風味マヨネーズ、赤ワイン、オレンジマーマレード)
18:00 疲れはてて集合場所の横のテラスでカフェアメリカン
19:00 食事集合カタルーニャ広場
   再集合後夕食(レストランで温野菜、パエリア、クレームビュルレ)
21:15 宿泊ホテル着(バルセロナ デルビー)荷物準備

【グエル公園】

【サン・パウ病院】

【サンジョセップ市場は年末のアメ横状態】

【ピカソ美術館、ベラスケスの「ラス・メニーナス」をピカソが書くとこうなる。】

【チョリスとホットチョコレートで一休み】


【7日目・10/26(土)機内泊】
スペインに入ってから保安検査が異常に厳しい。サグラダファミリアも厳しかった。金属探知機の感度MAX状態と思われる。いろいろ考え登山用ズボン、登山用シャツのポケットのジッパーに反応しているのではないか?との事に思い至った。ズボンを変え、シャツを脱ぎ、小銭もショルダーバッグその他金物を完全に排除。それらの努力が功を奏して保安検査一発通過の快挙となった。やれやれ。

帰りはヘルシンキまでFIN。さすがにイベリア航空ではヘルシンキのトランジットが不安だ。帰国後、各方面に聞くと、イベリア航空は非常に「?」が多いらしい。スペインの方々はのんびり度において日本人の対極にあるらしい。「7人の現場では4人は働かず見ているだけ」との情報もある。往路のヘルシンキ出発遅れよスーツケース紛失事件でも、機内アテンダント連中はのんびり自然体だったとの情報もある。当然、説明もない。さらに、往路の荷物トラブルの原因がいまだに腑に落ちない。「満員で荷物が重く、風も強いのでスーツケースを下ろして離陸した」との説明だが、そんなことってある?しかし、そんな説明をするスペイン人は嫌いでない私です。

◆行動記録
8:00 ホテル発(バスで空港へ)
11:05(12:05) バルセロナ空港発
16:00 ヘルシンキ着(搭乗時間3時間55分)
17:25(23:25) ヘルシンキ発(トランジット時間1時間25分)
       夕食:機内食、朝食:機内食


【8日目・10/28(日)朝帰国】
今回の旅はマドリッド、グラナダ、バルセロナとスペイン入門編。日本でいえば東京、京都、奈良、大阪の修学旅行コースと言える。当然どこも観光客で溢れている。いろいろトラブル満載でも天候に恵まれて楽しい旅だった。特にチーズ、オリーブオイル、生ハム好きの私にとっては快適な一週間だった。お腹の調子も絶好調。帰国後、チョイとお腹に違和感を感じている。次回、機会があれば北部(バスク)から西部(サンティアゴ)方面を訪れてみたい。

◆行動記録
8:05 中部国際空港着(搭乗時間9時間20分)
   予定より早く中部国際空港に到着。

◆ちょっとしたポイント
・スーツケース紛失対策(ビーチサンダル、薬、歯磨き、下着、靴下)
・靴(石畳にスリッポンはキツイ、ローカットのトレッキングシューズ)
・ジャケット2着持って行ったけど使わない
・保安検査対策(チャック付きポケットは避ける)
・団体旅行の場合スーツケースの旅行社から配布されるタグは重要

◆今回のトラブル
・スーツケース紛失
・AVBの列車内のトイレ故障
・アルハンブラ宮殿の見学時間のコミュニケーションミス
・ショルダーバック置き忘れ
・スーツケースが開かない
・保安検査
・添乗員の案内棒破損