中部国際空港はLCCを新設の第2ターミナルに追いやったので、国際線は空いていると思ったのは甘かった。国際線の出発ロビーは大混雑。出国審査も顔認証システムで戸惑うことも多かった。連休でもないのに海外旅行者の多さにも驚いた。その多くは女性と高齢者だ。
ヘルシンキに着いた。空港の周りには曇り空の下にカラマツの様な黄色に色づいた針葉樹の森が広がる。時間は時差マイナス6時間で午後2時半。さすがに北欧のヘルシンキ、雨も降っていたためかなんとなく最果て感が漂う。でも空港のトランジットは分かりやすかった。
乗り換えた飛行機はイベリア航空。しかし飛行機はなかなか飛び立たない。まもなく離陸予定から1時間経つけど飛び立たない。乗客は日本人とラテン系。日本人は旅のプレッシャーからクレームはない。ラテン系は何も感じないようで、楽しげにおしゃべりしている。
待つことしばし。午後6時半(マドリッド時間はサマータイム時差1時間で午後5時半)、1時間半以上遅れで飛行機は飛び立った。遅れた理由はわからない。そして、なぜか5時間近くのフライトで午後10時20分マドリッドに着いた。予定ではホテルに入っている時間帯だ。
後は手荷物をピックアップしてホテルに入るだけと考えたのは甘かった。待てど暮せど荷物が出ない。その時、衝撃的な情報。ヘルシンキに百個近くのスーツケースが残っているとか、、、。これは事件だ。かなりの問題を抱えつつマドリッドの夜は更けていく。
◆行動記録
8:00 集合 中部国際空港
10:30(4:30)出発
昼食ー機内食
14:30 ヘルシンキ着 搭乗時間約10時間
18:30(17:30) 同発
22:20 マドリッド着 搭乗時間約5時間
深夜 宿泊ホテル着(マドリッド プラガ)
【A350のシート背面ディスプレイは良く出来ている。映画「アラジン」を見た。足元も広く快適だった。】
【ヘルシンキ空港、チョイと暗い】
【マドリッド空港。待てど暮らせど荷物は出ない】
【2日目・10/21(月)マドリッド泊】
午前中はトレド観光。天気晴朗なるもシャツ一枚ではちょい寒い。とりあえず町並みを見下ろす展望スポットで写真タイム。その後、サント・トメ教会でグレコの絵を見たけど、どんな絵だったか思い出せない。教会を出て、裏道徘徊後、大聖堂の外観を見る。正面から見た大聖堂の塔が左右非対称なのが面白かった。建築に長い時間が掛ったので様式が変わったとのことだけど、それもあやふやな記憶だ。要するにこの旅ではあちこち連れ回されたので、記憶が定かでない。若いころならいざ知らず加齢とともに我が頭脳の記憶領域が確実に痛みつつあるのだ。
さらにスペインの歴史を聞くと登場人物があまりにも多い。ナンタラ何世、聖教者ナンタラなど、西洋の歴史に不案内な私には理解不能。とりあえず700年ごろからから700年以上イスラムに支配され、1500年頃から北から段階的にキリスト教が国土奪還したとのことだけど、これもはっきりしない。
夕食時、添乗員からスーツケースはまだ見つからないとの悲しい情報。開き直ってホテルに戻ってからとりあえず近くのショッピングモールへ下着などの必需品を買い出しに出る。添乗員も焦りまくって空港へ探しに行く。添乗員って他人事ながら大変な仕事だなあ・・・。
深夜11時ごろ、部屋の外が騒がしい。全部のスーツケース回収に成功したらしい。買出しに出た必需品は無駄になったけど、ホッとした空気が流れた。買った物は保険で補償されるらしい。私の買い物はh&mのTシャツ、3枚組パンツ、靴下で20ユーロ程度。こんなことならもっと高いものを買えばよかった。せめて、隣りのザラで買えばよかったと、貧乏性の性格を反省。
◆行動記録
8:15 バスでホテル発
午前 トレド観光
11:00 マドリッドへ帰還
12:30 王宮地下駐車場
昼食(タパス)タパス7品、アイスクリーム、美味しかった。
午後 マドリッド観光
プラド美術館、ベラスケス、ゴヤ、グレコ
ソフィア王妃芸術センター ピカソゲルニカ
夕食(レストラン)サラダ、チキン、アイスクリーム
20:30 スーツケーストラブルによる近くのショッピングモールで買出し(Tシャツ、靴下、パンツ)
スーパーでソフトドリンク
20:15 宿泊ホテル着(マドリッド プラガ) 荷物準備
【ソフィア王妃芸術センター、ピカソ「ゲルニカ」】
【深夜戻ったスーツケース、ドイツ方面に行っていたらしい】
【3日目・10/22(火)グラナダ泊】
昨日深夜、ー全員のスーツケースが届いた。やれやれ。そして朝、また事件。出発時点でエレベーターが大混雑。5階から降りれない。スーツケースが邪魔だ。こんなことなら発見が一日遅れてグラナダまで持ってきてほしかったなあ。大人数のロビーのエレベーターは3基。ロビーは南米系の観光客で大混雑。これでは足りない。
いろいろ大汗かきつつなんとか駅に向かいAVBに乗り込む。窓の外はオリーブ畑。どこまで行ってもオリーブ畑。のどかな景色が広がるけど列車のトイレはトラブル中。マドリッドは曇っていたけどコルドバは快晴。時間は11時30分。
コルドバではお決まりのメスキータ観光。メスキータはモスクのことと初めて知った。ローマ、ゲルマン、イスラム、キリスト教と支配者が目まぐるしく変わったこの地を理解するには歴史を理解することが必要だがナントカ5世、聖者ナントカなど出演決定多数のこの地の歴史は一筋縄ではいかない。
コルドバからはオリーブ畑の間の道をひたすらバスでグラナダへ向かう。途中のドライブインで今年のアルベキーナのエクストラバージンオイルを買った。羊のチーズ(マンチェゴ)は買いたかったけど要冷蔵なので帰国直前に買うことにした。
平穏な観光が続くと思いきや、トラブルは続いた。当初の計画は夕食を済ませ8時からのアルハンブル夜間入場の予定。それに向けて6時から夕食。その夕食のレストランで食事開始のその刹那、アルハンブル入場間が7時はんと判明。このまま食事を続けると入場時間に間に合わない。
最近のアルハンブル宮殿は観覧希望者が多く、入場チケットが入手困難と聞いていた。その為に夜間入場となった訳だがアルハンブラに入場できないとなるとこれは事件だ。食事を宮殿見学の後に変更し、大急ぎで宮殿に向かった。その後、判明した事だがアルハンブル宮殿の見学時間は夜8時まで。何で午後8時から夜間入場の計画を立てたのか不思議だ。
それやこれやの大騒ぎのアルハンブル宮殿夜間入場だったけど宮殿は美しかった。しかし、できれば昼間ゆっくり見学したいものだ。しかし、参加メンバー37名は大人の対応。若い添乗員にクレームをつけることもなく、粛々と変化に対応していく。まさに大人のチームだ。素晴らしいとも言えるけど、要するに遊びに来てまでも険しい空気に身を置きたくないという心境なのかもしれないね。少なくとも私はそんな感じだった。
さてさて、トラブルはこれでは収束するのか?旅は中盤戦にさしかかったけど、ちょっと怖い。このあと平穏に帰国できるのか?スリルとサスペンスの旅はまだまだ続く。
◆行動記録
8:00 バスでホテル発
超特急列車AVEでコルドバへ
バスでコルドバ観光(メスキータ、花の小径)
午後 昼食(ガスパチョ、ポーク、スイカ)その後グラナダへ
ドライヴインでオリーブオイル購入(今年のアルベキーナ)
一旦ホテルチェックイン
夕食(レストラン)キャンセル
アルハンブラ宮殿
夕食(ポタージュ的スープ、牛の煮込み、ムース的ケーキ)
22:30 宿泊ホテル着(グラナダ マシア コンドル)
【超特急AVE】
【メスキータ尖塔】
【メスキータ内部】
【花の小径、尖塔が見える】
【メスキータ遠望】
【アルハンブラ宮殿の天井、ここで携帯の電池切れ】
【4日目・10/23(水)グラナダ泊】
この日は出発が遅い。連日の早朝から深夜までの強行スケジュールだったのでこの日はゆっくりする作戦のようだ。しかし、強行スケジュールに慣れてしまった数名は、添乗員に連れられて朝の散歩に出た。朝の大聖堂、町並み、市場、素晴らしい。観光地より街歩きの方が私は好きだ。
その後、バスでオリーブ畑の間を走り、お昼ちょっと前にミハスに着いた。心配した天気もなんとかもち、日射しも出てきた。でも、写真で見るような青い海が見れなかったのは残念だった。ミハスは単なる観光地と侮っていたけどバルでゆっくり食事し、世界一小さい闘牛場で座っているのは気分が良かった。まさに「アンダルシアの風に吹かれてアンチョビ肴にビノティント2杯を楽しむ」感じ。
グラナダに戻ると雨。事前のイメージとしては南欧の明るい日射しを連想していたけど、この時期は特に雨が多いらしい。標高も900m近くシエラネバダ山脈の近くの山岳都市と言ったら言い過ぎだけどそんな感じの街だった。何事も自分の目で見ると感じることも多い。
朝には入れなかった大聖堂に入ってみた。日本語のガイドマシン付きで10ユーロ。最初のコーナから詳細な説明が続くけど歴史のわからない私にとってはチンプンカンプン。まさに「言語明瞭なるも意味不明」であった。カテドラル内部は巨大なドームの下に豪華絢爛キンキラキン。キリスト教徒はなんでこんなに力づくの建造物を作るのだろうか?日本人の私には理解できない。この感覚はバルセロナのサグラダファミリアでも同じだった。
マドリッドで食べたタパスが美味しかったので、この日の夕食はツアーのレストランを断ってバル巡りとした。タパスとワインの食事は安くてうまいけど、3回食べたらチョイと飽きてきた。
この日の夜はフラメンコショー。次から次へとスペイン観光が押し寄せる。初めて見るフラメンコショーは迫力満点。差別され続けたジプシーの悲哀や苦痛からなのか怖いぐらいに力みかえる。私のイメージしていたものとはかなり違っていたけど、これが本物なのかなあ、、、、
深夜、日本からの電話で起こされた。「ショートメールを送ったけど、返事がないので電話した」とのこと。海外にいる旨話した。ショートメールはつながらないと思っていた。その直後、別の知人からショートメールが入った。多分、同じキャリアに限りショートメールは繋がるのかもしれない。帰国したら確かめたい。
◆行動記録
7:45 朝食
散歩(グラナダ街歩き)
9:50 出発(バスでホテル発)
ミハス自由行動
昼食:タパス2(アンチョビ、タコ)赤ワイン
ホテルに帰還後自由行動(スーパー、大聖堂、バル、カフェ)AR
夕食キャンセルし、バルでとる(タパス2、生ハムサンド、赤ワイン2杯)
8:45 ホテルロビー集合
フラメンコショー
23:30 宿泊ホテル着(グラナダ マシア コンドル) 荷物準備
【グラナダ大聖堂】
【コロンブス銅像、バルセロナにも巨大なコロンブス像があったなあ。】
【大聖堂正面】
【ミノス、お約束の白い街】
【タパス二種(アンチョビ、イカ)、イカが特に美味い】
【猫が寄ってくる。アンチョビのフライをあげた】
【スペインで一番小さい闘牛場】
【フラメンコも見た】
昨夜はフラメンコで帰還は深夜。スペイン入してからハードな毎日だ。トラブルも多発。後半戦開始においてゼロトラブルを祈ったものの、朝一番からトラブル発生。スーツケースのカギがあかない。どうしても開かない。一瞬顔が青ざめる。鍵は力ずくで頑張り何とか開いた。でも、爪の先が少し欠けた。
その後、バルセロナへ向かうため空港へ。グラナダの空港は狭いが保安検査が超厳しい。ポケットから出し忘れたコインが引っかかった。ボディーチェックが始まった。そのボディーチェックが入念だ。体の隅々までまさぐられ、紙幣しか入ってない財布も取り上げられた。そしてなかなか財布が返って来ない。やっと財布が戻ってきたとき嬉し涙を禁じ得なかった。大げさだけど。その後、財布の中身を確認したのは言うまでもない。
この日のメインはサグラダファミリアの見学だ。そこでも保安検査がある。グラナダ空港での失敗から慎重に金属関係の物をバッグに入れて、一発通過を目指したものの、ここでもボディーチェック。なんでこうなるの?私の人相が悪いのか?チョイと落ち込みつつ考えてみた。結論としては私の山用のズボンと山用のシャツのジッパーが金属探知機に反応しているのかもしれない。日本では問題ないのだがね。それを考慮し最終日の帰国時の保安検査は一発通過を目指すとするか・・・。
バルセロナの町は観光客で溢れている。当然、サグラダファミリアも大混雑。大阪の道頓堀、京都の金閣寺、伏見稲荷を歩く感じ。バルセロナはスリが多いと聞いていた。添乗員からは事あるごとに「スリ」に関する注意が続く。
サグラダファミリアは巨大な建物だった。内部のステンドグラスから差し込む夕日も綺麗だった。でも、私にとっては何となく違和感のある建物だ。ちょいと前に訪れた室生寺の方が私は好きだ。その後訪れた雑貨店のトイレにショルダーバックを置き忘れる大チョンボ。幸いすぐに見つかったので良かったけれど、それ以後、何があってもショルダバックを首から外すことは止めると固い決意。食事中も外さない。齢とともに首からぶら下げるものが増えてきて辛い。ついでにトラブル報告を一つ。添乗員の案内棒が壊れた。
◆行動記録
7:30 集合
7:40 ホテル発バスで空港へ
9:50 離陸バルセロナ
11:20 バルセロナ着
昼食(ピンチョス5品)
バスでバルセロナ観光(サグラダファミリア)
夕食(謎の緑色クリームスープ、カジキマグロのグリル、フルーツポンチ、ビノティント2)
19:45 宿泊ホテル着(バルセロナ デルビー)
【飛行機でバルセロナへ】
【バルセロナ大聖堂】
【カタルーニャ音楽堂】
【カサミラ】
【カサバトリャ、内部も見学】
【サグラダファミリア、やたら巨大だ】
【サグラダファミリア内部】
【ステンドグラスから差し込む夕日が美しい】
【6日目・10/25(金)バルセロナ泊】
今日はこの旅の実質的な最終日。明日は朝から帰国の移動となる。この日も早朝起床のハードスケジュール。グエル公園、サンパウ病院、サンジョセップ市場とサクサク回り、サクサク、オリーブオイル、チーズを買ってお昼ちょっと前自由行動となった。37名の団体行動からやっと解放されて自由になった。
夕食までの7時間、何をするか?考えたけどとりあえず大聖堂あたりの町歩きからピカソ美術館へ向かってみる。もらった地図を頼りに向かったものの細い路地が入りくみ道に迷った。人に聞こうと思えども観光客と地元民の区別がつかない。
考えたすえ、美人の店の従業員と犬を連れたおじいさんにターゲットを定めた。「ムセオ、ピカソ」「ムセオ、ピカソ」を連呼しなんとかピカソ美術館にたどり着いた。
ピカソ美術館は地図では広い道に面しているように書かれていたけど、実際は小さな路地の片隅にあった。チケットを買うとき65歳以上は割り引きがあった。ウレシイ。12ユーロが7ユーロ。5ユーロの割り引きは大きい。パスポートなどの年齢証明不要。しかし、入口のオニイチャンが一目見るだけで割り引き対象と判断して声かけしてくれた。通常、日本人は若く見られるんだけどなあ・・・。チョイと寂しい。
◆行動記録
6:15 モーニングコール
7:00 朝食開始
8:00 ホテル発(バスでバルセロナ市内観光)
10:00 グエル公園発(ベンチが良かった。天気快晴街の向こうに海が光る)
10:10 サンパウ病院発
サンジョセップ市場
(チーズ、トリュフ入りオリーブオイル、タコピンチョス、乾燥ニンニク、ニンニクパウダー、)
その後、自由行動(昼食:ムール貝、焼アスパラ、ビノティント)
ピカソ美術館
大聖堂近くの有名店でチョリス、ホットチョコレート、カフェインアメリカン
カタルーニャ広場前エルコルテイングレスで食料購入
(ニンニク風味マヨネーズ、赤ワイン、オレンジマーマレード)
18:00 疲れはてて集合場所の横のテラスでカフェアメリカン
19:00 食事集合カタルーニャ広場
再集合後夕食(レストランで温野菜、パエリア、クレームビュルレ)
21:15 宿泊ホテル着(バルセロナ デルビー)荷物準備
【グエル公園】
【サン・パウ病院】
【サンジョセップ市場は年末のアメ横状態】
【ピカソ美術館、ベラスケスの「ラス・メニーナス」をピカソが書くとこうなる。】
【チョリスとホットチョコレートで一休み】
【7日目・10/26(土)機内泊】
スペインに入ってから保安検査が異常に厳しい。サグラダファミリアも厳しかった。金属探知機の感度MAX状態と思われる。いろいろ考え登山用ズボン、登山用シャツのポケットのジッパーに反応しているのではないか?との事に思い至った。ズボンを変え、シャツを脱ぎ、小銭もショルダーバッグその他金物を完全に排除。それらの努力が功を奏して保安検査一発通過の快挙となった。やれやれ。
帰りはヘルシンキまでFIN。さすがにイベリア航空ではヘルシンキのトランジットが不安だ。帰国後、各方面に聞くと、イベリア航空は非常に「?」が多いらしい。スペインの方々はのんびり度において日本人の対極にあるらしい。「7人の現場では4人は働かず見ているだけ」との情報もある。往路のヘルシンキ出発遅れよスーツケース紛失事件でも、機内アテンダント連中はのんびり自然体だったとの情報もある。当然、説明もない。さらに、往路の荷物トラブルの原因がいまだに腑に落ちない。「満員で荷物が重く、風も強いのでスーツケースを下ろして離陸した」との説明だが、そんなことってある?しかし、そんな説明をするスペイン人は嫌いでない私です。
◆行動記録
8:00 ホテル発(バスで空港へ)
11:05(12:05) バルセロナ空港発
16:00 ヘルシンキ着(搭乗時間3時間55分)
17:25(23:25) ヘルシンキ発(トランジット時間1時間25分)
夕食:機内食、朝食:機内食
【8日目・10/28(日)朝帰国】
今回の旅はマドリッド、グラナダ、バルセロナとスペイン入門編。日本でいえば東京、京都、奈良、大阪の修学旅行コースと言える。当然どこも観光客で溢れている。いろいろトラブル満載でも天候に恵まれて楽しい旅だった。特にチーズ、オリーブオイル、生ハム好きの私にとっては快適な一週間だった。お腹の調子も絶好調。帰国後、チョイとお腹に違和感を感じている。次回、機会があれば北部(バスク)から西部(サンティアゴ)方面を訪れてみたい。
◆行動記録
8:05 中部国際空港着(搭乗時間9時間20分)
予定より早く中部国際空港に到着。
◆ちょっとしたポイント
・スーツケース紛失対策(ビーチサンダル、薬、歯磨き、下着、靴下)
・靴(石畳にスリッポンはキツイ、ローカットのトレッキングシューズ)
・ジャケット2着持って行ったけど使わない
・保安検査対策(チャック付きポケットは避ける)
・団体旅行の場合スーツケースの旅行社から配布されるタグは重要
◆今回のトラブル
・スーツケース紛失
・AVBの列車内のトイレ故障
・アルハンブラ宮殿の見学時間のコミュニケーションミス
・ショルダーバック置き忘れ
・スーツケースが開かない
・保安検査
・添乗員の案内棒破損
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