2012年12月8日土曜日

中山道[美濃赤坂→垂井](12.08)

先月末より天候が不順だ。爆弾低気圧的低気圧が相次いで北日本を通過。どの方面も天気が読めない。そんな訳で、とりあえず、近場の中山道シリーズ(勝手にシリーズ化)の美濃赤坂方面へ出撃。しかし、天気はハッキリしない。大垣から美濃赤坂へ出て、垂井経由で関が原まで歩きたいけど、どこまで行けますか・・・。

JRを大垣で下車。駅の観光案内所に向かう。最近の地方都市の観光案内所はとても親切だ。無料のガイドマップを貰ったついでにお勧めの見どころを聞く。奥の細道むすびの地記念館を勧められる。憧れの「奥の細道」にまつわる施設。一瞬、覗いて行こうかとも考えたけど、時間の都合もあり、美濃赤坂方面へ歩き出す。「奥の細道」は別の機会に時間をとって訪れてみたい。

観光案内所でゲットした「西美濃歴史街道地図」を手に大垣の街を水門川にそって北へ歩き出す。車の多い幹線道路を避けつつ、北西にある美濃赤坂方面を目指す。地図には中山道、鎌倉街道、東山道、谷汲巡礼道、美濃路、伊勢街道、北国街道などが入り組んでいる。美濃赤坂へは鎌倉街道を歩くらしい。しかし、道路脇には案内標識はほとんどなく、適当に歩く。時々、旧街道的な道の流れを感じつつ歩くも、家並みが途切れると強風にあおられる。遠くに雲に覆われた伊吹山が見える。

何とか美濃赤坂到着。美濃赤坂には港がある。港といっても河港で、かって水運で栄えた名残だそうだ。背後の金生山で取れる石灰を搬出していたらしい。その港の遺構を復元し観光の目玉にしているようだ。隣には赤坂港会館もあり、昔の写真なんぞを展示している。その写真には美濃赤坂の盛んだった時代が切り取られている。車社会全盛の昨今、取り残されたような美濃赤坂だが、この車の進歩が本当に人々に幸せをもたらしたのか?考えてしまう。赤坂会館のから黄金色のイチョウの落ち葉が強風に舞い落ちる。会館のオバチャンが「今朝、掃除したばかりなのに・・・」と嘆く。庭には一面のイチョウの落ち葉だ。


垂井へ向かって歩き出す。赤坂の町を出たあたりで雨が降ってる。その雨は直ぐにミゾレとなり、雪に変わる。そして吹雪となる。冬山用ヤッケを着ているので、本格的な乾いた雪には問題ないが、雨交じりの雪には辛い。表面の雪が融け、なんとなく湿ってくる。この湿った寒さは辛いねー。


寒さのため、どこに寄る事もなくひたすら垂井に向かって歩く。訪れたかった美濃国分寺跡もパス。この赤坂から垂井までの道は中山道との表示があるものの車の通行量も多く、あまり楽しい道ではなかった。さらに寒かったしねー・・・。

垂井に着いたとき夕方5時近くなってしまった。そこで本日の行動停止。駅のキオスクで買ったワンカップを電車の座席で飲んで熟睡。気がつけばぴったり名古屋駅のホームだった。(2012.12.8)

◆行動記録
11:12 金山発
11:55 大垣
      770円(名古屋ー大垣)
      760円(天ぷらうどん)
14:00 美濃赤坂(赤坂港)
15:20 喫茶(お伽草子)
      350円(コーヒー)
16:56 垂井発
      1110円(垂井-勝川)
      340円(ワンカップ、ピーナッツ)
17:45 名古屋着

 【水門川、市内を流れるも水質が良い、それに引き換え堀川は・・・】

 【この日。唯一見つけた鎌倉街道の案内標識】
【「何でも通る鎌倉街道」と叫びつつマージャンを打っていた時代をふと思い出した】

 【伊吹山は雲の中】

 【美濃赤坂は杭瀬川の水運の町】

 【赤坂港会館、隣の神社の境内は黄色い絨毯】

 【垂井の旅館亀丸屋、現在も営業中】

【垂井の泉】

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