2013年3月3日日曜日

安土城址(2013.3.3)

小学校か中学校か忘れてしまったけど、歴史の年表にあった「安土桃山時代」。戦国時代と江戸時代に挟まれた存在感の無い次代だったねー。「安土ってどこ?」「ひょっとしてココ?」みたいな感じで出かけてみた。青春18切符が3月1日から利用可能となったので、春一番の18切符という意味での出撃でもあった。

9時チョイ過ぎ名古屋発。日曜日の東海道線は大垣での乗り換えも無く、米原乗換え1回で11時チョイ前に安土に着いた。3月になって陽射しは春めいてきたものの、台風並みの低気圧で北日本は大荒れ。新幹線が脱線したり、北海道で死者が出るなど大変な天候だった。琵琶湖東岸のこの地域も比良山系を越えて北西の風が強かった。さえぎるものも無い琵琶湖を吹き抜ける風はけっこう冷たい。

安土駅で近郊のウオーキングマップをゲット。初めて知ったのだけど、安土城址は東海道線と琵琶湖に挟まれ、京都へ向かって右手の小山だった。その小山に向かって歩き出す。安土の町は特に古い町並みがあるわけでもないけれど、最近、信長関連で町おこしを進めているらしい。安土城への案内標識は充実している。駅前には信長の銅像もある。その信長像はズボンのようなものをはいたバテレン的かつ信長的像でありました。甲府の武田信玄像の日本的な姿とは一線を画す姿だ。信長は本当にこんな姿をしていたのだろうか・・・?

安土城址へはナントカ言う寺の拝観料として500円必要。各地の城跡に入るのに料金を取られたのは今回が初めてで、ちょっと、アレって感じだった。安土城址への登りにかかると城山にさえぎられ風が弱まる。修復された石段だろうけど、一段一段が大きな石段だ。ところどころに仏様が掘られた石が踏み石として使われている。築城当時、石が不足して各地の石像までも城作りに使ったという話だ。復元にあたり信仰すべき仏像を踏み石に使うことは躊躇したらしいが、実際に用いられた状況を復元するためにあえて置いてある、との解説もあった。

一汗かいてたどり着いた天主台には多数の礎石が残り天守閣の大きさを物語っている。そこからは眼下に琵琶湖が見下ろせる。右手に見える伊吹山が白い。左手遠くに琵琶湖越し比良山系も見える。天主台後から琵琶湖を望むと、昔の水運に使われた琵琶湖の重要性が感じられる。そんな意味からも信長の時代、長浜、近江八幡、佐和山(彦根)、坂本、近江八幡に秀吉、秀次、石田光成、明智光秀成など有力な武将を配置したのかもね・・・。

東海道線を挟んで反対側に観音寺城址もあるらしい。とりあえず、そちらに向かって歩き出す。風は冷たいものの着実に春の気配は強くなっている。空にはヒバリの声が響き渡る。桑實寺(くわのみ)までやってきた。そこから本格的な登りになるらしいが、山登りは安土城で堪能したので観音寺城址はパス。観音寺城へ行くにも桑實寺の拝観料500円が必要らしい。その後、近江八幡を徘徊後帰還した。近江八幡日牟禮八幡宮は観光客で溢れていた。ここは境内入場は無料(2013.3.3)

◆行動記録
 9:00 名古屋発
      青春18切符(一回分2300円)
11:00 JR安土駅
12:00 安土城址天守台
12:45 安土城駐車場
14:10 JR安土駅
15:00 JR近江八幡
      日牟禮八幡宮
     (つぶらもち:1個60円)
     (丁稚羊羹:1本280円)
17:10 JR近江八幡発

【安土城址の石段と石垣。一つ一つが大きい】

 【安土城址天主台の礎石】

 【JR安土駅前の信長像】

 【近江八幡牟禮八幡宮】

 【境内の能舞台。明治時代に作られたらしいがシブイ】

【境内の茶店でつぶら餅、丁稚羊羹、鈴鹿天然水購入。緋毛氈の縁台で食べたつぶら餅はしみじみ美味しかった。】

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