2019年4月4日木曜日

スウェーデントーチ(2019.4.4)

丸太を縦に建てて直接火をつけて焚火をすることが可能らしい。名前はスウェーデントーチ。話には聞いていたけど、丸太があったのでやってみた。事前にネットで調べてみると、多数の動画を見ることができた。動画ではうまくいっていたけど、半信半疑でとりあえず丸太にチェーンソウで十文字の切り込みを入れた。しかし、これが意外と難しい。

丸太を輪切りにしたことはあるけど、立てて縦方向に刃を入れるのは初めての経験だ。しかも、チェーンソウの刃の切れ味が悪い。添え木を当てて釘でマルタを固定して何とか十文字に刃を入れた。

次の困難は着火だ。丸太の中心部の切り込み中央の下部に着火せねばならない。割り箸に麻ひもを巻き付け、灯油をしみこませ火をつけ十文字の真ん中に差し込むことで課題クリア。ここまでやると後は思いの外うまくいった。丸太は内側から燃え続け、直径20センチほどの丸太は3時間程度で燃え尽きた。これは使える。今後は薪ストーブでは躊躇する松の丸太もこの方法で燃料にしたい。

【切込中央下部の火種は空気が供給され、温度も下がらないので意外と消えない】

【まさにトーチだ】

【ダッチオーブンも直接乗せることもできる】

【崩れそうになった時、横のU字溝で覆ってみた。これなら強風下でも焚火ができる】

【この季節最大の農作業も完了。これでのんびり焚火を楽しめる】

2019年4月2日火曜日

高校野球(2019.4.2)

最近、今まで経験したことがないことを経験してみたいと感じることが多い。その一つが甲子園球場で高校野球を現場で味わうこと。某有名作詞家や巷の人々の高校野球礼賛がイマイチピンとこないし、高野連や主催新聞社など取り巻く大人の思惑が先に鼻につく。同じような感覚が五輪にもあって、来年の東京五輪も純粋に楽しめそうもない。

前回の東京五輪は純粋に楽しめた。その時、私は高校生だった。年を重ねそんな純粋な心根が汚れてしまったのか。そんな性格を素直な性格に直したい。などとメンドクサイことを考えつつ早起きしてJRに乗った。目的の甲子園球場は50年以上前に行ったことがあるけどほとんど記憶がない。その時は野球ではなくて競輪を見に行った。大人と言うよりまだ子供の分際で野球ではなくて競輪だった私は世の中をチョイと斜に見ていたのかもしれない。

JR大阪駅から阪神電車に乗った。甲子園同様、阪神電車も全く記憶がない。50年以上前の大阪駅周辺は、終戦直後の気配をまだ少し残していた。試合開始2時間前の阪神電車はほとんど高校野球観戦の人で大混雑。甲子園球場の周辺も大混雑。いろいろな行列が出来ている。初めての高校野球観戦なのでチケットの買い方も列の並び方もわからない。しかし、係員は親切だった。行列も皆さん並び慣れているせいか落ち着いている。

今回、特に興味があったのは習志野のブラスバンドの「美爆音」。習志野と東邦の試合を見たいと思っていた。現場で組み合わせをを初めて知ったけど第一試合習志野、第二試合東邦でともに一塁側。したがって一塁側のアルプス席の列に並ぶ。テレビなどで「アルプス席」と言う言葉はよく聞くけど、アルプス席が何かは解らない。初めて入ったアルプス席は内野席と外野席の間。昔のナゴヤ球場では内外野席と言っていたような記憶があるけど、なぜアルプス席というのかは解らなかった。

ノンビリ列に並び初めてのアルプス席に腰を下ろした。観客の入りは八分程度。いちばん好ましい混雑具合だ。座った席は習志野高校応援団ブラスバンドの右後方。周囲は千葉から遠征してきた習志野高校関係者のど真ん中。習志野高校とは縁もゆかりもない私だけど、「名古屋から来たけど、決勝は習志野と東邦で戦いたい」との殺し文句で完全に習志野応援団の一員に入れてもらうことができた。そんな熱狂的な応援体験は昭和49年の中日ドラゴンズリーグ優勝以来だったので、とても楽しい野球観戦だった。ちなみに習志野高校は逆転勝ち、応援席はハイタッチと握手の嵐。後ろの席のオッチャンは勝利した時涙をぬぐっていた。

その後、第二試合は東邦高校の順当勝ち。周囲の人との特段の交流もなくて少し物足りなかった。結論としては、高校野球は応援団の一員になることが肝要だ。応援団にならなくても青空の下、雲が流れ空気が流れ、そして緑の芝生と整えられた黒い土のグランドで見る野球は素晴らしい。昨今のドーム球場には無い雰囲気だ。次は夏の大会にも来たいけど、暑いだろうなあ・・・。

話変わって、新しい元号が「令和」に決まった。なかなか良い感じで私も気に入っている。予想もしなかった元号で学者の方々の見識を再認識した。だけどどこぞの偉い政治家がこの元号について「美しい日本の文化、自然とそれにまつわる日本人の心情」について講釈している。でも、ご自身の行状を思うに「よく言うよ」って感じ。素晴らしい元号の解説をすればするほど「令和」が汚れて行く。

◆行動記録
5:47 勝川発
9:00 大阪
9:14 阪神電車
9:30 甲子園(アルプス席800円、外野席は無料)

【甲子園のチケット購入の列】

【甲子園球場はなかなか渋い】

【芝生が美しい。ビールの売り子も可愛い。ちょっと寒かったのでビールは止めて焼酎のお湯割り。三杯飲んだらちょいと酔った。】

【年のせいか若者がまぶしい。良いねえ・・・。】

2019年3月22日金曜日

法輪寺(2019.3.22)

先日の薬師寺水煙を見た後、私の連想は「薬師寺」から「和辻哲郎・古寺巡礼」、「大学1年の時の課題」、「大学入試」、「入江泰吉・写真集大和路」と続き、最後に「のっぺり顔の飛鳥仏」にたどり着いた。連想の理由は長くなるので省くけど、その「のっぺり顔の飛鳥仏」の表情が頭から離れない。50年以上前のおぼろげな記憶をたどると法輪寺の仏だったような気がする。だったら確かめてみるか、と出かけてみた。

18切符で亀山、加茂で乗り換えてJR法隆寺に着いたのは午後1時を過ぎていた。そこから中宮寺、法輪寺、法起寺、藤ノ木古墳、斑鳩文化財センターと法隆寺を中心に一回り。暖かい春の一日楽しいハイキングだった。

目的の法輪寺に確かに目指す仏像はあった。私が感じていた「のっぺり顔の飛鳥仏」は薬師如来と虚空蔵菩薩の二体あったけど、写真集で見ていたのは虚空蔵菩薩の方だったような気がする。飛鳥、白鳳、天平、弘仁・貞観、平安後期、鎌倉慶派、など仏像の変遷は面白い。その中で飛鳥仏は技術的には稚拙な部分もあるけれど個性的だ。要するに「キャラがたっている」。自分の部屋に飾る気分にはならないけれど、意識に残る造形だ。

◆行動記録
・9:30 勝川
・13:15 JR法隆寺
・13:45 中宮寺(600円)
・14:15 法輪寺(500円)
・14:50 法起寺(300円)
・15:30 藤ノ木古墳
・15:50 斑鳩文化財センター(無料)
・16:50 JR法隆寺
・18:00 天満酒蔵(1390円、酒1合、きずし、野菜天ぷら、マグロフライ、どて焼き)
・18:53 尼崎発
・22:00 名古屋着

【法隆寺夢殿を回り込むと中宮寺】

【中宮寺本堂、この中に有名な弥勒菩薩がある。黒光りしたその姿は飛鳥仏とは思えない】

【法輪寺、伽藍配置は法隆寺と同じというけど塔は昭和の再建だ。行動の位置に仏像収納庫がある】

【法起寺遠望】

【藤ノ木古墳】

【斑鳩文化財センター、説明のオッチャンが親切だった】

【藤ノ木古墳は未盗掘で貴重な出土品はほとんど国宝。文化財センターにはレプリカだけど多数展示されている。これは石棺の中から出た靴】

2019年3月12日火曜日

三井寺(2019.3.12)

現役の時、今から10年ほど前に大津の町に仕事で関わった事があった。数年間にわたり月に一回程度は訪れた。しかし、会議に出席するだけでトンボ返り。したがって町の様子はほとんど分からない。当てもなく町を徘徊することが趣味の私としては、大津の街を歩いていないことは珍しいと言わざるを得ない。と、そのことにふと気がついた。だったら行ってみるか?と18切符を握りしめ出かけてみた。

大津に着き、観光案内所で聞いてみた。「私はどこへ行ったら良いと思う?」。そんなわがままな質問にも、観光案内所のオネエチャンは親切に対応してくれた。街歩き用の地図を頂き、アドバイスに従って三井寺に行ってみることにした。

とりあえず琵琶湖方面に歩き出し、大津港、京阪浜大津駅を経由して琵琶湖疎水に沿って三井寺に着いた。特に興味があったわけでもなく、大した期待もしていなかったけど、三井寺は良い寺だった。想像以上に広い境内が比叡山の麓の山中に展開している。観音堂の展望台からは大津の街越しに琵琶湖が見える。特に経蔵、金堂が素晴らしい。夕方五時近くになり金堂の中には入れなかったけど、その背後の鐘楼から「三井の晩鐘」がゴーンと鳴った。

【大津港から琵琶湖、長浜方面】

【なぜかミシガン】

【琵琶湖疎水は三井寺の下をトンネルで蹴上へ。周囲は桜が多い。桜の開花時に再度訪れたい。】

【三井寺観音堂への石段】

【観音堂の上の展望台から望む、観音堂、大津の街、琵琶湖】

【弁慶力餅、300円】

【経蔵内部】

【経蔵】

【金堂、予想外に大きく立派だ。】

【三井の晩鐘】

【街で見つけた曳山会館。大津の街には古いもの多し。】

2019年3月5日火曜日

薬師寺水煙(2019.3.5)

薬師寺の東塔が解体修理に入ってかなりの時間がたつ。来年には修理も終わり公開されるらしいが、東塔が見られない薬師寺は魅力が半減する。そのため拝観料を払ってまで訪れる気持ちになかなかなれない。美しい仏像が多いのに残念だ。

しかし、東塔の水煙が公開されているとの情報。天気も良いし、まだ花粉症も激しくないし、18切符も使えるし、といった諸般の事情で出かけてみた。

初めて間近で見た水煙は素晴らしかった。久しぶりに見た聖観音、薬師如来、日光、月光も美しかった。天気も良く、薬師寺、垂仁天皇陵、喜光寺、菅原神社を巡り近鉄西大寺まで歩いた。春の一日、のんびりした気分で楽しかった。

【左がレプリカ、右が本物】

【手前がレプリカ、奥が本物、修理が終わった東塔には手前のレプリカが乗るらしい】


【1300年前の物】

【西塔は新しいけど、徐々に雰囲気が出てきた。東西の塔が揃ったら見に来たいね】

【梅は満開】

【垂仁天皇陵、近くには橘の気が多いような気がする】

【喜光寺、本堂だけど山門のような建物だ】

2019年2月28日木曜日

トカラ列島4(2019.2.28)

 [鹿児島市内徘徊後帰還・木曜日]
昨日、船内で地元の事情通から鹿児島市内の銭湯はどこも温泉だと聞いた。午前中、時間があったので市内を歩き回り、銭湯「霧島温泉」で旅の汗を流してから帰還した。三泊4日の短い旅だったけど、「最果て感」十分味わった旅だった。次は薩摩硫黄島を訪れたい。

【天文館のデパート。渋い】

【鹿児島市内温泉「霧島温泉」。入浴料390円】

2019年2月27日水曜日

トカラ列島3(2019.2.27)

 [トカラ列島巡りつつ帰還・水曜日]
朝、島内ににフェリーの運航状況が放送される。悪石島を出たフェリーは東之浦の桟橋に着くという。昨日到着は南之浦の桟橋。詳しく聞くと南之浦は台風二号のうねりで潮に洗われているという。しかし、昨日見た感じでは東之浦は南より一段貧弱な突堤に見えたけど、大丈夫なのかな・・・。

島には同じような顔のオッチャンが多い。民宿のオッチャンも工事関係者も道で出合うオッチャンも同じ背格好、同じ年格好、同じ顔色、同じ立ち居振舞い。けっきょく出港するとき、挨拶すべき民宿のオヤジが分からなかった。島には通常ならオバチャンの姿が多いものだけど、オバチャンというよりオネエチャンと呼んだ方が良い感じの女性が多かった。不思議だ。この平島は何もない島だけどインパクトのある島だった。これを契機に離島訪問にはまってしまうかもしれない。

朝8時45分、フェリーとしまは平島を離れた。遠くに悪石島が霞んで見える。反対側にはこれから向かう諏訪瀬島も霞んで見える。船内で昨日平島で出会った環境アセス関係のオッチャンにあった。いろいろ平島のことを聞くうちに、今回の平島からの帰還はけっこうきわどいものだったことが判明した。常々、利用する南之浦が潮で洗われると「抜港」といって寄港が省かれることがあるらしい。特に、小宝島と平島はその可能性が高いらしい。今回、たまたま南より貧弱な東之浦が使えたのでフェリーが寄港できたらしい。

諏訪瀬島に近づいた。垂れ込めた雲をバックに噴煙のようなものが見える。デッキで隣り合い口をきき始めた地元の事情通と思われるオッチャンに聞いて見れば諏訪瀬島には火山があり最近にも大きな噴火があったそうだ。

諏訪瀬島が遠くなる。この島は見る角度により形が変わる。平島からは横広の島だけど、通り過ぎて振り返ってみるとまさに富士山。なだらかなすそのを引いている。次は中之島だ。その途中、波間を飛ぶ飛び魚に上空から海鳥が襲いかかった。

屋久島を洋上のアルプスと言うけれど、このトカラ列島は洋上のアルプスのピークだ。平島、諏訪瀬島、中之島、口之島、口永良部島、屋久島、硫黄島、竹島、佐多岬、開聞岳、そして桜島が見えて「あがり」となる。

鹿児島港着は18:20の予定。間もなく入港だ。十時間近い船旅だったけど全く退屈しない。ほぼ一時間ごとに新しい島が現れる。その島影は船が動くにつれて形が変わる。その船の甲板で工事のオッチャンと知り合った。この地域、十島村、三島村などの離島専門に工事する会社に勤めている。なかなか興味深い話が聞けた。

◆行動記録
  • 夕食は再度おいで家(2570円)トマト、黒豚軟骨、海鮮カルパッチョ、スナップえんどう茹で、焼酎
  • 宿泊:アイホテル鹿児島天文館(4350円)

【フェリーとしま、平島東之浦へ入港、なぜかホッとする】

【浅瀬に見えるけどUターン成功】

【平島は横になった妊婦さんに見えるとか。】

【今回行けなかった悪石島】

【諏訪之瀬島、噴煙が見える】

【諏訪之瀬島から中之島向かうときに振り返るとき見える裾野を引く諏訪之瀬島】

【中之島には標高千メートル近い山がある】

【口之島】

【口之島の向こうに中之島が見える】

【たぶん口永良部島、屋久島との間をフェリーが走る】

【たぶん屋久島】

【たぶん硫黄島】

【開聞岳が見えた】

【やっと桜島】