2009年7月31日金曜日

八坂・蕎麦打(4-1-9)

ひょんなことから信州八坂村蕎麦打ち体験イベントに参加することになった。八坂村は信濃大町の東隣。集落は谷沿いの地味な村。大町との間の鷹狩山にさえぎられて北アルプスの展望も無い。でも八坂の蕎麦は有名らしい。

蕎麦打ち前日の夕方、出発。蓮華温泉でテスト出撃した我が放浪用戦闘車両の初めての実戦出動だ。前回の蓮華同様下道で国道19号線を北上。下道を時間の余裕を得てゆっくり走るのは、やっぱり良い。私がかって紅顔の美少年だったころ、中央高速がまだ全線開通してないころ、志賀高原にスキーに行ったときのことを思い出す。

今夜の泊まりは松本の「あがたの森公園(旧制松本高校跡)駐車場」を密かに狙っていた。到着は午後9時少し過ぎ。暗い駐車場には適度の車。トイレも近い。その横に自販機。少し歩けば居酒屋もありそう。雰囲気上々。PB(パーキングビバーク)としては理想的な場所だ。しかし入口に不穏な看板発見。「午後10時から朝8時まで閉鎖」。コンプライアンス精神満載の私としてはとっとと撤退。別の場所を探すことにする。

大町方面に走りつつ、安曇野市役所の駐車場発見、今夜のPBとする事にした。暗くて静か、セブンイレブン(トイレつき)徒歩1分、周辺に居酒屋多数、の優良物件。車の後部座席を倒し、いつでも寝れる体制を作ってから、周辺の居酒屋を偵察。

田舎と侮っていたら大間違い。近辺にはスナック多数。しかも今や絶滅寸前、昭和の空気満載の小規模カラオケスナック。懐かしいデュエット曲なんぞ漏れてくる。うーん、イーナー。

しかし、初めての地方のスナックに入るのもなんなんで、駐車場横のイタリアンカフェで生ビール、ミックスピザ、ジンロック(ライム入り)。チョイト酔い、市役所の入口階段に腰を下ろし、夜風に吹かれつつ一服。その時、小さな光が視界を横切る。まさか、と、思いつつその光を追う。蛍だった。市役所の入口横の松の木の枝の中に数匹が点滅。久しぶりに蛍を見ることが出来てちょっと嬉しかった。

(安曇野のイタリアンカフェ)
 
翌朝、気がついたんだけど、泊まった場所はJR豊科駅もすぐそばだった。JR豊科駅にはこれもまた今や絶滅寸前の二宮金次郎が本を読みつつ立っていた。(2009.7.31)

(豊科駅二宮金次郎)

2009年7月30日木曜日

知多・師崎(3-1-8)

子供のころ夏休みになると毎年家族で泊りがけで内海に海水浴に行ったものだ。そのころの我が家での唯一の旅行だった。宿泊は親父の会社の海の家。思い出すことは「内海についたときカニを見たこと」「親父が宿で按摩を呼んで昼寝している姿」「お袋と姉の三人で記念のコケシを買ったこと」「プロ野球オールスター戦を聞きながら浜に並んだ夜店で輪投げをしたこと」・・・。

そんなちょっと甘酢いっぱい気分満載で、その内海の先の師崎に行ってきた。目的は師崎の赤羽商店にワタリガニを買うこと。内海の海水浴にはワタリガニの記憶はまったく無い。なんせ、その時代、我が家では「カニはダメ。アタル」。そういえばえびもダメだった。アタル。伊勢二見ガ浦のサザエのつぼ焼きもダメ。アタル。振り返れば高いものがすべてアタルらしい。

まあ、それはそれとして、ワタリガニは今が旬。きっと、安くて美味しいワタリガニにありつけるだろうと、握るハンドルにも力が入る。赤羽商店に到着。氷の上に並んだワタリガニ。大きくて重いヤツ5匹で3000円。春に買ったときはそれより小さいヤツ3匹で4000円(?)。ただし、生簀で生きているヤツ。生簀で生きているカニもあったけど、店の兄ちゃんの「今日中にゆでればそんなに変わらない」の言葉に5匹3000円を購入。生きたカニはその倍ぐらいらしいけど・・・。

結論から言えば、生きたヤツ5匹6000円にすればよかった。ワタリガニは生きているヤツに限る。今回の教訓です。

(外見は立派だったけど・・・)

帰りに、甘酸っぱい海水浴気分をもっと味わうべく、内海海水浴場へ寄ってみた。浜の夜店、浜茶屋、休憩所の気配も変貌。ただ、貸浮輪屋に昔の面影を感じることが出来た。密かに期待した水着のオネエチャンの姿を見ることも無く、車に残した氷漬けワタリガニが気になってソソクサと帰還。しかし、これが「放浪」だろうか・・・。(2009.7.30)

2009年7月22日水曜日

蓮華温泉(2-2-7)

朦朧とした頭で、車の窓から外を見る。まだ、寝込んでからそんなに時間は経ってない感じ。満天の星空だ。安心して寝込んだ。その後どのくらい時間が経っただろうか、タープの風を受ける音で目が覚めた。時間は深夜12時少し過ぎ。寝袋から這い出し、タープを取り片付ける。その時、車の脇の草むらに少し入った。これが、恐怖の夜の始まりとなる。

タープを片付け、寝袋に再度入り、熟睡体制。その時、左足太ももに違和感。何か太ももを這い回る気配。よく薬物中毒なんかで皮膚の表面を虫が這い回る気配があるなんて事を読んだことがあるが、そんな感じが心をよぎる。俺も酒の飲み過ぎで、こんなんになってしまったか?などと思いつつ、ウトウト。でも、何かが這い回る。 そっとズボンの上から押さえてみる。むむ!手ごたえがある。

あわてて飛び起き、ズボンの上から摘んだ左手を離さないようにズボンを脱ぎ、ひっくり返し、ラテのつけてみてみれば、ゴマ粒ほどの黒い物体が二つ。小さな手足も見える。その瞬間「ダニ」という言葉が頭を占める。以前、友人の皮膚の中に頭を突っ込んだダニの姿を思い出す。

眠気も吹っ飛び、服を脱ぎからだ中を点検。しかし、真っ暗闇の中、心細いほどの小さなラテの光。さらに最近進んできた老眼の影響か、ほとんど見えない。もう寝れない。全身の神経を体の表面に集中しつつ、見える範囲で点検してみる。外は雨が降ってきた。その後、点検作業は進まないものの、やけになって飲んだ「大雪渓」のおかげか、知らないうちに寝てしまった。

恐怖の一夜が明け、外は明るくなってきた。朝の光を得て再度「ダニ検」。異常は無い。本当は昨日の800円の元を取るべく朝風呂としゃれ込む予定だったけど、朝露にぬれながらの行動も気分が乗らない。とっとと帰ることにした。天候は相変わらず不順。でも、帰りの林道から望んだ雪倉から朝日の稜線は何度見ても良い。近いうちにその方面に出撃しようと思っている。

(林道から望む雪倉岳、右方向、朝日岳に続く)
 
復路は糸魚川から親不知、富山を経由、R41で帰宅した。その途中、高岡の瑞龍寺へ寄ってきた。よく「日本で一番美しい寺の一つ」などと良く言うことがあるけど、瑞龍寺は私が知る限りまさに「日本で一番美しい寺」だ。回廊から中庭越しに見た仏殿の気配なんぞ抹香くささは微塵も無く、ただただ美しい。(2009.7.22)


(瑞龍寺の山門)

2009年7月21日火曜日

蓮華温泉(2-1-6)

本当は白山の北方稜線に行こうと思っていた。でも、梅雨が明けない。どこもかしこも天候が読めない。でも行きたい。前日のテレビの天気予報をつぶさに検討。なんとなく北のほうがよさそうだ。この梅雨末期はどこで何が起こるかわからない。厳しい林道を詰めるリスクは避けたい。それやこれやで熟慮の結果、蓮華温泉へ出かけてみた。今回の出撃は、今後、放浪するための戦闘車両のテストも兼ねての行動だ。

現役の時、引退したら車一台に家財道具一切積込み、日本全国を放浪するのが夢だった。言ってみれば「動く四畳半」。でも諸般の事情により基本的には4泊5日の放浪生活。今回はさらに短い1泊2日。


(放浪用戦闘車両)

最近のETC割引の胡散臭さに背を向けて、オール下道で国道19、サラダ街道、大町を経由して糸魚川方面へ。なんせ時間は有り余るほどある。こじゃれた白馬近辺の雰囲気もJR白馬大池を過ぎると一変。さらに南小谷を過ぎると途端に道が悪くなる。10年ほど前の水害で道路が様変わり。JR平岩駅方面の出方に戸惑ってしまった。

蓮華温泉は残雪期、山スキーで栂池から天狗原を超えて数回来たことがあるが、車で来るのは初めてだ。平岩から15キロ。道は完全に舗装されている。こんな山部深い、そして先に温泉しかない道が良く維持されていくものだ。

蓮華温泉駐車場の隅に車を止める。ここが今日のキャンプサイト。蓮華温泉小屋に800円支払い、露天風呂へ行ってみた。露天風呂は小屋から数分歩いたところ、上から薬師の湯、仙気の湯、黄金の湯の三ヶ所。入浴料800円の元を取るべく、薬師、仙気、そして内湯にも入り、湯上りのビールを楽しんだ。

(仙気ノ湯)

その後、戦闘車両のタープの下、持参したナス、モロッコインゲン、ウインナ、ハンペンなんぞ炒めつつ、途中で購入した「大雪渓」の箱酒を飲む。雪倉岳から朝日岳に続く稜線が徐々に暗くなっていく。(2009.7.21)

2009年7月14日火曜日

石垣島方面(1-5-5)

今日は最終日。石垣発は14:45。それまでどうしよう?レンタカーでも借りて島内探索も考えたけど、外はあいかわらずの殺人光線。海の景観も、多分、思っているものと同じだろうと、勝手に解釈して、ホテルでグダグダしている。こんな暮らしが続くと、きっと、脳内もグダグダになっていくのだろう・・・。

この旅で海に入ったのはコトー診療所の浜で足首までの一回だけ。一度ぐらいは海で泳いでも良かったかな?でも人と話したのは多かった。昨夜も深夜3時過ぎ、暑くなって目を覚まし、自販機で冷水を買い、外のベランダで一服。そんな深夜に同宿のK子チャン(3日前の与那国行きにカロリーメイトくれた子)も現れる。そこで1時間以上もおしゃべり。そんな深夜にこんなオッチャンと付き合ってくれるとはありがたいもんです。まあ、お互い、翌日やることも決まってない、気楽な身分ということなんでしょう・・・。

石垣空港で八重垣テンプラ、ビール、豚軟骨そーきそば。福岡空港でビール2杯、汐うに、ゲソてんぷら、ざる豆腐。特に福岡空港の「萬坊」は今回の旅行で一番おいしかった。食事はやっぱり内地だわねえ・・・。(2009.7.14)

2009年7月13日月曜日

石垣島方面(1-4-4)

与那国への船は週2往復。今日帰らねばならない。民宿の支払い食事つき2泊で9000円。帰りにお土産の泡盛セットまでもらう。食事もおいしかったし、良いのかなー、こんなに安くて。この民宿も「昭和の香り」に満ち満ちていた。いまのミニ旅館化した民宿と異なり、ちょっと気を使ってくれる(食事のおかずが一品多い程度)の家庭のもてなし。

民宿の漁師のオヤジさんも石垣に用事があるとかで、一緒に乗船。この船が揺れた。オヤジさんいわく「たいしたことない。波高3メートル、風速15メートル程度」とか。しかし与那国と西表の中間でとんでもない揺れ。甲板を波が洗う。やむを得ず船室に避難。横になる。すさまじいピッチング。船首が落ちるとき下になる首から肩にかけ強く押される。うーん気持ちが良い。指圧効果のある「マッサージ船」と考えれば考えられなくもない。そのうちに船室内にカエルの声が充満。与那国名物の「ゲロ船」と化す。私も少し気持ちが悪くなった。

さしもの大揺れも西表を過ぎると収まってくる。甲板に出てみる。でも、甲板の人数は少ない。特に若者の姿がない。目立つのは団塊世代6人グループ。行きの船でも一緒だったけど全員元気だ。特筆すべきはその中の一人。歩くこともままならない甲板のいすに座り、弁当を出した。おにぎり、鳥の空揚げ、タクアン。それらを平然と平らげ、ビーニールパックに残ったご飯粒も丁寧に指でつまみ上げきれいに食べた。さらに、足元に落とした爪楊枝も拾い上げ、ズボンのすそで払ってからゆったりと使っている。その後、ペットボトルのお茶を飲み、さらに歯磨きを始めた。エライ!、私もそんな人間になりたい。
民宿のオヤジさんも出てきた。

オヤジさんいわく「まれに見る揺れだったねえ」。そんな揺れも経験できてうれしかった。(2009.7.13)

2009年7月12日日曜日

石垣島方面(1-3-3)

〔Dr.コトー診療所〕


〔診療所入口の椅子に座り海を望む〕


〔与那国馬と子供達〕

7時半起床。朝食が旨い。朝食後、洗濯。民宿の自宅2階のベランダに干す。風がとおり、気持ちがいい。猫が寝ている。おばちゃんいわく「よその猫だけど気持ちがいい場所を知っている、いつもここで寝ている」。レンタカーを聞いたら、民宿の車を貸してくれた。

借りた車で島内探索。Dr.コトー診療所(オープンセット)へ立ち寄る。オープンセットとは言うものの、古ぼけたコンクリート作り。若いときに比べて何もしなくても幸せな気分で時間を過ごせるようになってきた。コトー診療所の玄関横の日陰に置かれた木のいすに腰掛け、濃厚な時間がゆったり流れる。何もしていないんだけど・・・。海が青い、殺人的に日差しが強い、吹き渡る風が心地いい。せみが鳴いている。ハイビスカスが咲いている。

与那国島は小さな島だけど雄大な景観が広がる。道は広い。日本の西の果て。大陸との国境の町。そんな関係で、道路、電波などのインフラは意外と整備されている。ここを放置すると、知らないうちに中国人に占拠されていたりして・・・。

2時間ほど島内ドライブ。行くところが無くなった。泡盛、ビール、水を買う。与那国の泡盛は60度の花酒から25度の普通の泡盛など種類が多い。店のおばちゃんが言う。「島の人間は25度か30度しか飲まない」。何事も現場指向の私としては、購入した泡盛は30度、720ミリ800円。石垣で買ったバナナチップを肴に泡盛を飲む。昨日のおなか不調の経験を生かし、買った冷たいミネラルウオーターと交互に飲む。

個室のクーラーを利かせ、テレビの囲碁番組を見ながら、いつの間にか寝てしまった。ほとんど、自宅での生活と同じである。ひょっとしたら、自宅にいるよりお金を使わないかもしれない。
現在、午後3時。殺人光線は外に氾濫している。歩いている人はほとんどいない。後、1時間か2時間したら、港の横の小さなビーチにでも行ってみるか・・・。まあ、若い娘の水着姿を見る可能性は限りなく「0」に近いけど。

4時になった。ずっと個室(約3畳)に引きこもっているのもなんなんで、港横のナーマ浜に行ってみた。少しはよくなったか?と思って外へ出たものの、外は殺人k光線に満ちている。予想通りナーマ浜には人はいない。いやいや一人(性別不明)いた。浜の脇にある東屋に腰を下ろし、日陰に横たわる。

風が心地いい。海が光る。美しい。そのうち、子供連れが現れはじめる。さらに、馬に乗った一団登場。その馬が小さい。聞けば与那国馬だとか。小さくても力が強く働き者だそうだ。毎週、この時間に地元の子供たちとのふれあいの機会を作っているということだ。馬、子供、大人、犬達、みんな海に入って遊んでいる。当然、犬もつながれてない。5,6匹の犬がじゃれあっている。いじめられている犬もいる。でも、元気に飛び歩いてりる。良いもの見させてもらいました。

5時過ぎた。大相撲名古屋場所を見るために民宿に帰ることにする。まだ、殺人光線の力は衰えない。

6時になった。さしもの殺人光線も力を弱めた。でも、まだ日影を選んで「日本最後の夕日が見える丘」へ出かけてみた。背後の山に丸い大きな虹がかかる。そして白くかすんでくる。夕立が近い、と、思ったとき、バラバラ雨。その後、やっと涼しくなる。(2009.7.12)

2009年7月11日土曜日

石垣島方面(1-2-2)

〔与那国島が見えた〕

前夜飲み過ぎ、酔い覚ましに飲んだ生ぬるい水が良くなかったみたいでおなかの調子不調、胃腸薬飲む。宿のフリードリンクのコーヒーと福岡で買ったさば寿司を朝食とする。その後、近くのマックスバリューへ与那国での食料調達(ミックスナッツ、バナナチップ、飴)。昨夜宿で仲良くなったK子ちゃんからカロリーメイト差し入れ。

10時、フェリーよなくに出航。フェリーは昭和の匂いを満載の懐かしい船だ。ここまで「県営名古屋空港」「福岡空港第一ターミナル」「フェリーよなくに」と昭和40年代を彷彿する行動だ。西表過ぎてかなりのローリング、そのローリングを楽しみつつ、甲板でミックスナッツをつまみにスキットルのブランデーをチビチビ。時々、長いすに横になる。生暖かい風が心地いい。時々スコール。風に乗って海水も飛んでくる。その海水が暖かい。

西表が消えたころ、進行方向に島影。カモメや飛び魚とともに船は進む。出航後5時間ほどで与那国到着。民宿のおばちゃんが迎えに来てくれた。荷物を置き、おばちゃんが島の反対側の集落まで島を案内しつつ、車に乗せてくれた。

民宿は漁師の家だけど前日素潜りの追い込み漁の漁師が行方不明。捜索のため、漁ができないとかで、今日の夕食の刺身は魚屋で購入だとか、その買い物に付き合う。その際、おばちゃんに「森永アロエヨーグルト」を奢ってもらう。

自転車を借りて、6時過ぎに「日本最西端の碑」まで行ってみる。日の入りは7時半。夕食は7時と聞いていたので、「日本最後の夕日」を見るのは諦めた。ついでに少し自転車で走る。荒涼とした景色。車はほとんど走っていない。馬糞が散乱。でも馬の姿は見えない。宿のおばちゃんはとても親切。だけどちょいととぼけている。車の運転も危なっかしい。明日も捜索が続くらしい。漁が出来ないのは残念だ。(2009.7.11)

2009年7月10日金曜日

石垣島方面(1-1-1)

退職して9ヶ月。やっと何もしなくて良い時間が出来た。でも、日本は梅雨真っ盛り。ふと沖縄方面梅雨明けの情報。JAL.とANAの株主優待握り締め県営名古屋空港へ向かって見た。
 
とりあえず福岡まで飛んでみて、その先の石垣便が取れなければラーメンでも食べて、とっとと帰る計画。ネット情報によれば県営名古屋空港の駐車場はJALを使えば5日間は無料とか。しばらく来てないうちに空港の場所が変わっている。チョイトと戸惑いながらも無事チェックイン。久しぶりに見る名古屋空港は昭和の匂いが復活、懐かしい空気が流れていた。歩いてタラップを上り、福岡空港に無事到着。石垣便のチケットを求めてANAカウンター。幸か不幸か石垣便のチケットゲット。
 
こうなったら、いやでも石垣へ行かねばならぬ。と、いう訳で40年ぶりの放浪がスタート。
 
飛行機の窓から地図を片手に島々を特定しつつ、時々、スキットルに詰めたブランデーを飲みつつ、あっという間の2時間のフライト。石垣空港に降り立てば、予想以上の日差しの強さ。ホテル到着後、石垣港(離島ターミナル)周辺探索に徒歩で出かける。ホテルスタッフはタクシーを勧めたが・・・・。
 
歩き出してすぐにその意味を理解。日差しが強い、強すぎる。まさに殺人光線。あまりの日差しの強さに、日影を飛び石伝いに歩く。日影のない交差点の信号待ちは電柱の陰に隠れる。歩くこと30分、港が近い気配。東屋発見。飛び込むように日陰に入る。そこには地元のジイチャン多数。思わぬ闖入者に動ずることもなく座る場所を空けてくれた。そこに座って少しおしゃべり。その場に完全に溶け込んでいる自分自身を発見して、チョイトうれしかった。(2009.7.10)
 
(注)表題の(1-1-1)は(1回目-1日目-延べ1日目)の意味