2011年5月20日金曜日

四国遍路1-7

● 2011.5.20(金)
● 帰還・総括

 高速バスは朝7時チョイ前名古屋到着。長いような、短いような旅だった。でも、間違いなく最高に面白い旅だった。今回の旅は多くの人と話をした。そしてすべての人が優しく楽しい人たちだった。

 四国は現在日本で唯一野宿を認める地域かもしれない。いわゆる遍路文化。野宿して巡礼する人を支援するお接待文化。怪しげな野宿者が徘徊しても地域住民はそれを見守り、その周辺を掃除している。「忙しくてお参りにいけない自分の代わりにお遍路さんが代理でおまいりしてくれる」と考える。これぞ日本文化の真髄だ。

 そんな地元の人々に加え、最近の多様な巡礼者。老若男女さまざまな人が遍路している。岩本寺では花柄のサポートタイツにショートパンツを履いた遍路ギャルもいたし、窪川へ向かうトンネルの手前では完全なロードレーサー自転車にまたがり尖がったヘルメット着用のピチピチサイクラー(自転車乗りだけどこんな言い方あるのかなあ?)は「南無大師遍照金剛」の薄手の法被を風になびかせ高速で追い越していった。

 なんとなく弾みで始まった四国遍路だけど、たぶん、はまってしまうと思う。この続きは近いうちに再度出かける予定である。

● 今回のお土産
生酒(久礼西岡酒造)高知最古の造り酒屋らしい
酒盗(久礼)
小夏
生姜
トマト
塩ケンピ

【今回のお土産】

●主な歩行距離

・5月15日(高知市=>土佐市): 31.8K
・5月16日(土佐市=>宇佐) : 18.6K
・5月17日(宇佐=>安和)  : 31.2K
・5月18日(安和=>窪川)  : 27.0K
            【合計】   :108.6K

●経費合計(交通費、お土産込み):74,706円

2011年5月19日木曜日

四国遍路1-6

● 2011.5.19(木)
● 窪川徘徊、久礼で昼食、高知で入浴、徘徊、夕食、そして高速バスで帰還

 朝、ウグイスのけたたましい鳴き声で目が覚めた。6時からは朝のお勤め。宿坊に泊まったからには、せっかくなので参加することにした。本堂に集まった人は10人ぐらい。坊さんから一枚の紙が渡される。朝のお勤めのお経が書いてある。その中で私が知っているのは般若心経だけ。知っているといっても「般若心経」という名前を知っているだけだけど。

 でもすべてのお経にはふりがながついているので坊さんの後について読めば良いらしい。般若心経は3回読み上げると書いてある。お経が始まった。坊さんはけっこう若い兄ちゃん。声に張りがある。常々、法事なんかで居眠りしそうになりながら聞いているお経より勢いがある。木魚のたたき方も腕の筋肉痛を心配するほどの激しさだ。

 私も元気に声を出そうと思うのだが、読んでいるところがすぐに分からなくなる。かろうじて分かる「ハンニャハラミター・・・」のとことで合わせようとするのだが、「ハンニャハラミター」はあっちこっちに出てくるのでどこの「ハンニャハラミター」なのか分からずまたもや迷子になる。

 そのうち絶対間違えない「ギャーテーギャーテー」で待ち伏せすることにした。しかし繰り返しは3回なので、待ち伏せ成功した回で般若心経は終了。なかなか面白い体験だった。これからは各札所で納経するとき般若心経を唱えてみようと思う。

 初日に足を痛めたものの、なんやかんやで窪川の岩本寺まで歩き通すことが出来た。今回は初回でもあり「これくらいにしといてやろう」と帰ることにする。今日の夜行バスで帰宅することにした。

 窪川近辺を徘徊し四万十川を眺め、高岡神社をチョイと覗き、JRで土佐久礼。土佐久礼大正市場の「浜ちゃん食堂」で昼食。ここ数日、カツオを食べ続けたのでさすがにこの日はカツオではなく「ウツボのタタキ定食」にした。ワンカップ一杯ひっかけ久礼漁港をブラブラ歩く。

 一隻の漁船が戻ってきた。人の良さそうなオッチャンがクーラーボックスを荷揚げしている。「何があがるんですか?」と声をかけてみる。「鯖とウルメだよ」と親切に答えてくれる。「どのあたりでつれるのか?」「時期によって獲物はちがうのか?」「儲かるのか?」「楽しいか?」などと、とりとめも無く話しかける。ぶしつけな質問にもニコニコ返事をしてくれる。

 「100本以上の疑似餌針が付いた長い仕掛けでウルメとサバを釣るのだがサバが暴れるので大変だ」、と言ったような気がするが言葉は良く分からない。「須崎でほとんど水揚げし、ここに上げるのは自宅で作るミリン干用だ」、とも言っているような気がしたが定かでない。

 JR土佐久礼駅で列車を待っていたら、えらくざっくばらんな感じの若者登場。野宿で全行程を歩いているらしい。年のころ30歳ぐらいか。駅の外の日陰でガスコンロで湯を沸かしコーヒーを飲んでいる。声をかけたらニッコリ笑った。京都から来て17日だとか。時々、畑に打ち捨てられた野菜を拾って食べているとか。「野菜を買うと残りが重くて困るもんねえ・・・」。すべてを回ったら高野山へ行って、それから静岡へ行くとか。なんで静岡なのか聞くことを忘れたけど。

 彼は言う。「車はほんとうにいかんねー」。何であんなに力ずくで走り回るのか?といった感じのことを言っていたような気がするが、具体的にどういったのか忘れてしまった。でも、それは常々私が感じていることなのだ。私自身、車とテレビが日本社会を大きく変えたと感じている。日本中同じ情報を共有し、何処へでも座ったままで移動できることが田舎を疲弊させてきたのではないかなあ。津波に見舞われ、原発が爆発した今、これからの日本人の生活観は変わるのか?

 さらに彼は言う「四国は良いーねー。僕は日本全国旅してるけど、何処へ行っても、いつも怪しまれる。だけど四国の人は温かい。これがへんろ文化なんだろう」。この四国の人の人懐っこさは私も同感だ。

 高知に着いてトイレで自分の顔を見てびっくりした。真っ黒の顔をしている。ほとんどホームレスのオッチャンと同じ皮膚の感じだ。風呂へ入ったら少しは綺麗になるかもと、駅近くのホテル土佐御苑の風呂に入る。久々の風呂という訳ではないけれど「これにて今回の行動終了」の風呂は格別だ。風呂から上がり再度顔を見たけど、ほとんどホームレス感は減少してなかった。

 その風呂の前に、駅前の観光案内所で勧められた大川筋武家屋敷資料館に行ってみた。管理人室(だったと思う)に声をかけたら元気なオネエチャンが現れた。彼女の説明は素晴らしかった。高知の歴史から、現在の地理的な問題まで高知のことなら何でも答えてくれるような勢い。思わず長居してしまった。また来る機会があったら再訪してじっくり話を聞きたいものだ。

 風呂から上がったころ、ちょっと涼しくなってきた。高知城近くの「ひろめ市場」で夕食をとった。小さな飲食店が多数並び、その中央に食べることが出来るスペースを備えた、巨大なフードコートだ。

 すべての予定終了を祝し、生ビール、サヨリ刺身、トマト、玉子焼き、マグロ刺身、マグロ昆布巻き、天麩羅入り昆布うどんで一人打上げ。品数は多いけど、総額1980円はリーズナブルだった。

●主な出費
JR窪川-土佐久礼:350円
JR土佐久礼―高知:1060円
塩ケンピ4個 155円×4
浜ちゃん食堂 1400円
ウツボたたき定食 アジ干物 ワンカップ
小夏 しょうが 700円
生酒(4号瓶)3本 6300円
酒盗(甘口)2本 1060円
入浴(ホテル土佐御苑):700円
夕食(ひろめ市場):1980円

 【四国のお寺にはこの一休さんかサザエさんのカツオ君みたいなお坊さんの看板があるけど、何か違和感が・・・】

 【四万十町窪川の四万十川、なんの変哲も無い川だけど・・・】

 【久礼の造り酒屋】

 【久礼大正市場】

 【久礼港に船が帰ってきた】

 【久礼港で会った漁師のオッチャン】

 【JR土佐久礼駅で会った野宿遍路のお兄ちゃん】
【後姿限定で写真撮影の許可をもらった】

 【高知大川筋武家屋敷資料館】

【高知・ひろめ市場】

2011年5月18日水曜日

四国遍路1-5

● 2011.5.18(水)
● 民宿安和の里=>海岸ルート=>土佐久礼=>七子峠=>37番岩本寺(窪川)

 朝、出発するとき、民宿安和の里の女将さんから「ろうそく代の足しにしてください」と、折りたたんだ封筒に包まれたお金を渡された。一瞬、意味が分からなかったけど、「これがおへんろの体質かも」と考え、ありがたく頂戴した。そして、次の岩本寺でお賽銭として納めた。これも「遍路的様式美」なのかもしれないね。

 安和の町は海岸に近い。安心、安全の「安」と平和の「和」。ひょっとしたら歴史的に津波の被害に見舞われ続け、その結果、安らかな生活を求めた「安和」なのかも?と勝手に想像してみるも、何の根拠も無い話です。

 安和から久礼に向かうには山越えの道と、海岸線に沿う道の二つのルートがある。山コースは距離は短いけどトンネルあり。海岸ルートは景色は良いけど距離が長い。当然、景色のいい海岸コースを行くことにした。このコースは今回歩いた中で一番快適なコースだった。

 歩き出してすぐ、海岸から少し高みにある道路上で釣りの仕掛けを準備しているオッチャン発見。何を狙っているのか聞いてみれば、「アオリイカ」とのこと。アオリイカ釣りに興味津々の私としては通り過ぎることも出来ず、じっくり見学。

 手元にあるバケツには15センチほどの生きたアジが泳いでいる。そのアジの尻尾の近くに針を引っ掛け投げ竿で沖に投入。尻尾近くに針掛かったアジは元気だ。竿先がピクピク動いている。オッチャンいわく「イカが食うと、ググッと竿先が曲がる」とか。

 「でも、さっき見た小さな針ではバレちゃうんじゃないの?」と聞いてみれば、オッチャンは「食ったらこれを糸に掛けて下に下ろすんじゃ」と30センチほどの針金に針が数ヶ所ついた器具(名前知らない)を見せてくれる。なかなかシステマティックな釣りなのだ。その器具をスムーズに下ろすためにも小高いポイントから投げ釣りしているわけだ。

 そんな話をしていたら、竿先が変化した。なんとイカが掛かったのだ。それからがなかなかダイナミックな取り込み。まず、ガードレールから垂らされたロープを伝って海に降り、取り込むのだ。まさに、フィッシング&クライミングだ。良いもの見させていただきました。

 いつまでもイカ釣りを見ているわけにも行かない。歩かなければ着かないのだ。天気は上々。海が濃い。緑も濃い。光も濃い。首筋がジリジリ日焼けしていく感じが分かる。菅笠が欲しい。出来るだけ日陰を選んで歩く。その日陰はとても快適だ。

 安和から久礼を通って七子峠へ至るルートは「四国のみち」として整備されているらしい。でも久礼を越えたあたりで歩くルートが分からなくなった。しかた無いので国道56号を窪川方面に歩くことにする。しかしこのルートは高知から中村へ向かう海岸沿いのメインルート。車が多く歩きにくいことこの上ない。

 まあ、仕事でもなく「酔狂」で歩く私にとって、それなりの理由で走る車を非難することは出来ないけど、なんであんなに走り回らねばならないのだろう・・・?大汗かきつつ七子峠着。峠の茶屋で思わず「ビール」。そしてざる蕎麦の昼食。開け放された窓から風は吹きぬける。

 七子峠を越えると、アップダウンは無くなる。国道に付かず離れずへんろ道は続く。快適な散歩道といった感じだ。ふらふら寄り道しつつ窪川の岩本寺に到着。岩本寺は遍路にとってはかなり役割の大なお寺らしい。宿坊もあるし、売店では遍路グッズも売っている。今夜はこの宿坊を予約してある。

 でも、部屋に通されて驚いた。小さな(普通の)部屋はすでに満杯。大部屋に通された。私の今夜の部屋はここらしい。入って畳の数を数えたところ15畳。食事は付いてないので街の居酒屋で夕食後、部屋に戻れば、まだ時間は早いけど人の人の気配も無い。テレビも無い。静かなお寺の、大きな部屋で一人静かに夜を過ごす。はっきり言って部屋の隅に置かれた真っ赤なボタンの造花が怖い。かなりの多くに泊り客がいるはずなんだけど、皆さん何をしているのだろう?といろいろ感じつつ夜は更けて行く。

● 行動記録
06:50 出発
09:16 土佐久礼着
10:27 七子峠登り
11:41 七子峠
14:47 ドライブイン「ゆういんぐ四万十」
16:20 岩本寺 300円

● 歩行距離
安和の里(安和)~岩本寺(窪川):27キロ

●主な出費
行動食(久礼):580円(饅頭、お茶)
リップクリーム、 アイス:384円
岩本寺宿坊(素泊):4000円
夕食(居酒屋・初音):2900円
 サラダ スナップえんどう
 はちくと ジャガイモの煮物
 カツオ刺身
 酒 2杯
 うるめ丸干し
 ざる蕎麦


 【イカが当たった】

 【崖を降りて取り込む】

 【アオリイカ確保】

 【ちょっと型は小さいけど立派なアオリイカだ】

 【安和から久礼への四国の道】

 【七子峠から久礼の海が望める】

 【七子峠峠の茶屋での昼食】

 【37番札所岩本寺】

 【岩本寺宿坊】

【15畳の部屋は落ち着かないかも】

2011年5月17日火曜日

四国遍路1-4

● 2011.5.17(火)
● 国民宿舎土佐=>横波三里=>須崎(大善寺)=>安和(民宿安和の里)

 相変わらず足が痛い。宿に着くとしびれるように痛む。靴下を脱ぐのが怖い。でも朝になると痛みがなぜか和らぐ。お大師様のご利益かなー。お大師様なんて言葉が出るだけでも「へんろ体質」になりつつあるのかもね。今日も出発時、なんとか足が動いた。

 正式なルートは宇佐の町まで戻り、浦ノ内湾を船で行くらしいけど、宇佐のオバチャン情報によれば巡航船は運航してないとのこと。その他の情報紙では運行しているとの記載もあるが、真相はどうなんだろう・・・。足も痛いので船で行きたかったけど、浦ノ内湾の外側、横波三里と呼ばれるコースを行くことにした。

 海岸から100メートルほど上に連なるスカイラインコースだ。当然、展望はすこぶる良い。海が青い。入り組んだ入り江が美しい。風は爽やかだ。でも日差しは強く、加齢により弱まった肌にますますダメージが蓄積する。遍路用菅笠の必要性を痛感するも、近くに売っているところは無い。次回には菅笠を確保したい。途中、武市半平太の銅像がある。太平洋を眺めて立っているお約束のポーズだ。坂本竜馬、中岡新太郎、山内一豊、板垣退助・・・など、高知県には銅像が多いねー。

 横波三里から下ったとき、遠くで雷。雨も降ってきた。久しぶりの雨で気持ちいい。傘を差して歩き続ける。須崎の手前で「おへんろさん休憩所」発見。へんろ道にはこの手の施設が多く、どこも綺麗に掃除が行き届いている。

 そろそろ今日のねぐらが心配になったころ、須崎の駅前に正式な名前は忘れたけど「駅前かわらばん」とのボランティア的、お接待的、地域おこし的施設発見。入口付近でブラブラしていたら、中から強引にお茶のお誘い。とりあえず入って、冷たいお茶とコーヒーとお菓子をご馳走になる。

 そこで、今夜の宿の相談。須崎の次の集落「安和」にある「民宿安和の里」を紹介してもらう。今回の四国遍路、どこへ行っても宿がすぐに確保できる。まっこと四国は放浪に向いている。

 民宿安和の里に着いたのは夕方五時。風呂、洗濯、海岸の散歩と流れるように夕方の作業をこなし、6時ちょい過ぎ夕食。そこで犬山から来たオッチャンと同席。当日の泊り客は二人だけ。春日井と犬山の客が四国の安和で同席したわけだ。そのオッチャンの話も面白かった。

 60歳前に奥さんを無くし、これ以上頑張ってもしょうがないと自営業をたたみ、以来、自分の好きなことだけをする毎日。四国遍路は今回で12回目。毎回、車で回り、10回目までは納経帖に朱印をもらっていたが11回目からは朱印をもらわず参拝のみ。でも昨年、道後温泉近くで交通事故(物損)。お大師さまのバチがあたったかも(冗談だけどと言っていた)。

 要するに納経料300円も88ヶ所も回るとバカにならない。さらに駐車料も必要な寺もあるとか、、、さらに「へんろの神様」ナカツカサモヘイ氏にまつわる話など面白かった。

● 行動記録
07:50 国民宿舎土佐発
08:50 帷子崎
09:50 横波納骨堂
11:07 横波三里を降りレストラン浮橋
13:20 喫茶 おとずれ (うどん、ビール)
15:00 須崎「駅前かわらばん」
 お接待 お茶 コーヒー 宿予約情報収集
15:50 大善寺
17:00 民宿安和の里 行動停止

● 歩行距離
国民宿舎土佐~中浦バス停(横波三里下):15.1キロ
中浦バス停~須崎(大善寺):11.1キロ
須崎(大善寺)~民宿安和の里(安和):5キロ(?)
【合計】:31.2キロ

● 主な出費
昼食(喫茶おとずれ):550円
民宿安和の里(1泊2食付): 6500円
ビール:500円
ジュース等の水物:多数

 【横波スカイラインからの展望】

【喫茶おとずれ】 
【午後1時チョイ過ぎ、営業終了だけど無理やり作ってもらった】

 【横波三里を下ると浦ノ内湾の奥ではアサリを採っていた】

 【お接待用休憩所】

 【須崎駅前のお接待所「駅前かわらばん」】

 【安和の突堤、45センチのシマアジ上がる】

【民宿安和の里の夕食】

2011年5月16日月曜日

四国遍路1-3

● 2011.5.16(月)
● ビジネスイン土佐=>清瀧寺=>塚地峠=>青龍寺=>国民宿舎土佐

 「清瀧寺」と「青龍寺」同じような名前だけれど、呼び方は「セイリュウジ」と「ショウリュウジ」。両方とも立派なお寺だ。

 この仁淀川の河口周辺地域も古来津波には悩まされたらしい。東北震災の津波直後だけに歩きながらも津波のことが気にかかる。特にこの土佐市には避難する高台もほとんど無い。この場所に今回の東北大震災並の津波が来たならどのぐらいの被害が起こるか予想もつかない。「清瀧寺」と「青龍寺」はその少ない高台にある。昔から津波の避難所になっていたと思う。

 足は痛いけど、なんとか歩ける。街から離れてひと気が少なくなったころ前夜、洗濯して生乾きになった下着をザックの後ろに縛り付けて乾かすことにする。さらに靴下は縛るつける方法がないのでベルトに挟んで乾かすことにした。数時間後、洗濯物はすべて完全に乾いた。

 清瀧寺から青龍寺に向かう道は「四国のみち」として整備されている。途中、塚地峠への上り口には休憩スペース、東屋もあってとても快適なルートだった。この「四国のみち」はへんろ道と合致している部分も多く、途中の休憩スペースは「歩き遍路」の野宿スペースとしても利用可能と見える。

 今の世の中、野宿を認める(黙認かもしれないけど)地域は四国以外には無いと思う。そんな雰囲気が四国遍路の魅力かもしれない。私がもう少し若かったらシュラフ&マット持参で野宿遍路を目指したかもしれない。今となっては荷物の軽量化、行動後のお風呂、虫に食われない睡眠の確保などの理由で野宿は避けたい。

 塚地峠を下ると宇佐の町に出る。浦ノ内湾という細長い湾が入り込んでいるが青龍寺 はその反対側にある。その湾口を宇佐大橋で越え青龍寺へ向かう。途中、「青龍寺はこちら」の看板発見。眺めていたら穏やかな感じのオッチャン登場。恒例の「どこから来た?」「どこへ行く?」の遍路的挨拶から世間話に発展。そのオッチャンは手に持ったかごの中に大量の小さな貝を持っていた。聞けば「ニガニシガイ」とのこと。「塩茹するとビールや焼酎のアテに最高や」、「今日は大潮だったのでよく取れた」とのこと。私も時間と収穫物を入れる籠があれば貝取りに励むにだがなあ・・・。

 その後、青龍寺で本日の行動停止を決定。奥の院近くの国民宿舎土佐に予約の電話を入れてみた。あっさり今夜の宿確定。国民宿舎土佐はしっかりした建物で、遍路と言うより南欧をイメージした建物だ。若干の違和感はあるものの、南欧風露天風呂から眺める太平洋は素晴らしかった。

●行動記録
07:45 出発
08:50 清瀧寺 300円
11:09 塚地休憩所
11:52 塚地峠
13:15 竜の浜
14:10 青龍寺 300円
15:10 奥の院 国民宿舎土佐(行動終了)

● 歩行距離
ビジネスイン土佐~清瀧寺=>3.2キロ
清瀧寺~青龍寺=>14.8キロ
青龍寺~国民宿舎土佐=>0.6キロ
【合計】=>18.6キロ

● 主な出費
清瀧寺納経 300円
青龍寺納経 300円
缶ビール大 450円
冷酒 500円
国民宿舎土佐(2食付)宿泊 6800円

 【清瀧寺山門下の石段】

 【清瀧寺のこの仏像の下には戒壇巡りがある】
【それがけっこう怖かった】

 【塚地峠入口の公園にある東屋】

 【塚地峠への登り】
【歩きやすい道だ】

 【宇佐大橋】

 【青龍寺参道】

 【青龍寺奥の院への道】

【国民宿舎土佐の展望露天風呂】

2011年5月15日日曜日

四国遍路1-2

● 2011.5.15(日)
● JR高知駅=>竹林寺(31番)=>32番禅師峰寺(32番)=>雪渓寺(33番)=>渡船=>種間寺(34番)=>土佐市ビジネスイン土佐(泊)

 静か過ぎて眠れない一夜も明けた。でも、寝られないと思っていたのは錯覚で、起きてしまえば気分爽快。駅中のコンビニでカツオ飯弁当購入。とりあえず高知の初夏と言えばカツオでしょう。でもこの後、毎日カツオを食べることになる。

 6時55分、行動開始。「四国遍路ひとり歩き同行二人」という10年以上前に購入した「歩き遍路用地図」を片手に31番札所竹林寺に向かう。帰宅後、改訂時期を確認してみれば1997年9月1日。15年近く前の情報だ。記載されているランドマークが半分以上発見できなかった。次に行くときは新しく買うことにしたい。

 竹林寺は高知市街を見下ろす五台山という小山の上にあるなかなか美しい寺だ。新緑にコケが美しい。日曜日のせいか参拝客が多い。歩き遍路の団体もある。次の32番札所禅師峰寺へ向かう道で一緒になる。明るい日差しの中、先達に先導され一列になって歩くお遍路さんを遠くから眺める。なかなか日本的な光景だ。

 途中、武市半平太生家との標識発見。とりあえず寄ってみる。今回、歩いていると各所に明治維新前後の歴史的遺構に出会う。この地域の人たちの先人に対する思いなんぞが伝わってくる。

 33番札所雪渓寺に向かうルートには浦戸湾の湾口を越えるために浦戸大橋と高知県営渡船の二つのルートがある。渡し舟なんて珍しいと、渡船待合所に向かう。船は出たばかり、次の船は1時間後。ちょうど良い休憩だ。日陰の椅子に腰を下ろし、冷たいジュースを飲む。風が抜ける、気分が良い。早くも1時間の待ち時間にも何の抵抗感も無くなっている。高知着数時間で「へんろ体質」になっている。

 そのとき、女性の単独遍路登場。聞けば、大坂から数日ごとに区切って回っている。今回は室路岬方面を歩いて高知に到着し、今日、はりまや橋から高速バスで大坂へ帰るとか。旅は道連れ、次の33番札所雪渓寺まで同行することにした。雪渓寺で分かれるとき、私が道を探してうろうろしていると、「へんろ道はあちらだよ」と教えてくれる。「なんで分かるのか?」聞いたところ「マークがあるでしょ」とのお言葉。でも私にはそのマークが分からない。再度、聞けば、電柱に小さな赤いシールが張ってある。それがへんろ道のマークだった。

 雪渓寺を過ぎた辺りから足が痛くなってきた。履き慣れた靴で安心していたけれど両足の親指の付け根辺りが痛む。若い頃、剣道やっていたので足の裏には自信があったのだが・・・。山に登るときに比べて、平地を歩き続ける時は、息が上がったり関節、筋肉を消耗したりする度合いが少ない分、足の表面部分に負荷がかかりすぎるのだろうか。今回、この足の痛み(マメ)には終始悩まされることになる。

 「へんろ道マーク」に導かれ種間寺到着。納経所で今夜の宿の情報を聞いてみる。次の清瀧寺へ向かう途中の土佐市街に宿が多いとの情報に、土佐市に向かってみる。途中、仁淀川を渡る。仁淀川大橋というだけあってとんでもなく大きな橋だ。

 橋の前半には川の姿は見えず、眼下に一面の田んぼが広がっている。半部以上過ぎたあたりからやっと河が見えてくる。広い川原に澄んだ水が初夏のしざしを受けてキラキラ光る。川原で上半身裸になっている若者たちが私に向かって手を振ってくれる。私も手を振り写真を撮る。こんな人との触れ合い方は何時以来だろうか・・・?

 土佐市でビジネスイン土佐に投宿。シャワーを浴びつつ、下着と靴下を洗濯。痛い足を引きずり近くの居酒屋へ出撃。やっとありついた本場のカツオはとても美味しかった。さらに隣の春野町で作られるフルーツトマトが酒の肴にとても良く合う。

● 歩行距離
高知駅~竹林寺=>5.1キロ
竹林寺~禅師峰寺=>6キロ
禅師峰寺~雪渓寺=>7.5キロ
雪渓寺~種間寺=> 6.5キロ
種間寺~ビジネスイン土佐=> 6.7
【一日合計】31.8キロ

● 主な出費
カツオ飯弁当:500円
竹林寺納経 300円
禅師峰寺納経 300円
雪渓寺納経 300円
種間寺納経 300円
ビジネスイン土佐 5775円
夕食(居酒屋)3400円
カツオ トマト チャンバラ(貝) ビール 焼酎
コンビニ 1370円
 夕食(ご飯)、飲み物、翌日朝食

 【31番札所竹林寺】

 【田んぼの間を行く団体遍路】
【日本的な光景だね】

 【禅師峰寺】

 【浦戸湾口の渡船】

 【へんろ道マーク】

 【仁淀川川原で若者とエール交換】

【仁淀川は四国第三の川だとか・・・】

2011年5月14日土曜日

四国遍路1-1

● 2011.5.14(土)
● 出発
 「退職したら、のんびり四国遍路」と思っていた。やっと状況整いまして今回、本格的に出かけてみた。とはいっても、何の信仰心も無く、勢いではじめる四国遍路。「物見遊山」以上でも以下でもない。「まあじっくり四国を歩き回ることで、面白いものが見えてくるかも」と、深夜の高速バスに乗る。

 徳島の一番札所霊山寺から始めるのが一般的だが、何処からはじめても良いとの情報も有ったので、この時期一番行きたい高知県南西部、出来たら足摺岬方面へ行きたいけど、どうなりますか・・・。

 この深夜高速バスも始めての経験。「なにやら三列シートでフルリクライニングのゆったりバスがあるらしい」との情報は聞いていた。青春18切符でワンカップ片手に乗るJRでは常に熟睡。深夜のリクライニングバスならもっと寝られるだろうとの考えだけど、今までの人生、夜行で寝られたことは皆無だったなあ・・・。何でだろう・・・。

 土曜日、夜10時30分。名鉄バスセンター。乗り場はけっこう明るくて綺麗なんだけど、出発の浮き立つ感じは無い。そんな中、大型バスが静々と登場。乗客はほぼ満員。荷物も少ないのですべて機内(もとい車内)へ持ち込む。

 今回は荷物の究極軽量化を図ってみた。ザックの中は以下の状況。軽い。
・ 着替え下着上====>1
・ 着替え下着下====>1
・ 靴下========>1
・ シェラカップ====>1
・ 歯磨き洗面用具===>1
・ スポーツタオル===>1
・ フェイスタオル===>1
・ ヘッドライト====>1
・ 折り畳み傘=====>1
・ 雨具上下======>1
・ シャツ(上着)===>1
・ ウイスキースキットル>1
・ 薬、その他=====>1
 軽い。コンパクト&シンプルに努めた。洗濯は毎日するつもりだ。

 座席は国際線エコノミーより広く、ビジネスクラスと言うところか。国際線には一度しか乗ってないので定かでないけど・・・。席は窓側の前から3列目。出来れば窓際の席がいいと思っていたけど、出発直前、カーテンを閉めるように教育的指導あり。と言うことは両側に通路のある中央関の方が利用可能空間は大きいと見た。

 バス中央にはトイレと給湯器の設備がある。でも周囲の空間が狭いのであまり積極的に使う気になれない。でも、この年になるとトイレ設置は必須条件だわね。
 自分の席を探すものの、車内は暗いしシート番号がどこに書いてあるか分からない。近くの人に聞いてシート番号発見。シートにはマットと毛布、スリッパがついている。でも、そのマットをどう使うかわからないのでそのまま上に座る。その後、シートを倒したり、フットレストを上げたり、いろいろせねばならないけどやり方が分からない。またもや隣の人に聞いて、なんとかシートを倒すことが出来た。
 
 走り出したら、すぐに車内は暗くなる。誰も話さない。静かだ。目が冴える。常々、電気を煌々とつけつけ、テレビの大音量の中で寝る習慣の私にとって、極めて不都合な状況だ。スキットルのウイスキーを舐めつつ「寝れるかなー」。
 
【夜の名鉄バスセンター】 
【沢木耕太郎の深夜特急を思い出す】

【高速バスの三列シート】
【暗くて写真が良くないね】