2012年10月25日木曜日

白山(10.25)



昨夜は暗くなってすぐに就寝。いつもの車中泊なら持参のラジオで深夜放送なんぞ聞くんだけど、この大白川温泉にはラジオの電波は入らない。当然、携帯も圏外。何もすることがないので寝るしかない。そのため、朝4時に目が覚めた。外は真っ暗。あまりに長く寝ていたので腹が減った。持参のアルミ箔鍋に入った鍋焼きうどん(天麩羅付き)をヘッドライトの下で作る。

うどんを食べてもまだ夜は明けない。再度シュラフに潜り込み、眠るでもなく、起きるでもなく、微妙ーな時を過ごす。気持ちいいなー・・・。そのうち周囲が明るくなってくる。登山者の車も数台現れる。みんな登山の準備を始めている。

私は4時に起きたものの気分は完全に緩み「陽が昇ったら出かけるか」のユルユル状態。足元が明るくなってくる6時半頃から登山者は出発し始めた。あまり寝てるのもなんなので、起き出し準備開始。東の山の端から太陽が現れるころ出発。時間は7時になっていた。今日は山頂は無理なので、室堂までのピストンとする。

登り始めて直ぐ、小尾根に上がったとき北方稜線が見える。北方稜線は真っ白だ。当然、室堂あたりも雪だろう。雪の状態では室堂までも無理かもしれない。大倉山避難小屋の手前から登山道に雪が現れる。日が当たるところは融けているけど、日陰は凍っている。その凍った足元が滑る。今回はストック、スパッツ完備で良かった。

大倉山避難小屋を過ぎ、室堂への登りにかかるころ、前方に三人のパーティー発見。かんくら雪渓の展望所でそのパーティーに追いついた。彼らはここで宴会して下山するとのこと。ガスバーナーに火をつけオデンを暖め始めている。当然ビールも並んでいる。

そこで情報収集も兼ねて、私も休憩。ついでにビールも頂く。助六寿司も頂く。私が飲みたそうな顔をしていた訳でないことを付け加えておきます。さすがにオデンは強く辞退。これ以上ここにいたら私もここから撤退となりそう。

そのパーティーから今日は二人連れのパーティーが二組、単独の女性が一人、入山しているとのこと。なぜ分かるかというと、一番早く入山したので追い越されたパーティーが以上だったようだ。そのうち若い二人組みパーティーは私も追い越された。やっぱり若いのは早いねー。

かんくら雪渓展望所から登ると雪はさらに深くなる。室堂に登ると夏道の吹き溜まりでは太股まで雪に埋まる所も有る。時間は12時になってしまった。12時まで登ったら下山するのが当初の計画。雪が深く歩きにくいし、帰還が遅くなるのも気になる。3時ごろには登山道周辺の夕日に照らされたブナの林を歩きたい。ビジターセンターまでは来てないけど、ここを室堂と勝手に解釈。ここで下山することにした。

雪から顔を出した乾いた岩の上に腰を下ろし、大休止。御前峰が近い、反対側には別山が大きい。室堂はまだ完全に雪に覆われたわけではなく、ハイ松の緑がまだらに白い雪から顔を出している。風がなくて暖かい。ここで天候が崩れトレースが無くなったら間違いなく遭難なんだろうなあ、と思うけど今日は100%その心配はない。

下り始めて、大倉山避難小屋の下で、くだんの三人組に追いついた。そのパーティーと合流しつつ、ブナの黄色に染まった道を下る。間もなく落ちる午後の日差しが森全体を明るく照らす。とても美しい。人が死んで天国に行くとき、こんな明るい道を行くのかなあ、と、感じるほどのこの世のものとは思えないような美しさだ。大袈裟だけど・・・・。(2012.10.25)

◆行動記録
 6:45 日の出
 7:00 出発
 9:50 大倉山避難小屋
11:15 カンクラ雪渓展望所
12:00 室堂(ビジターセンターチョイ手前)
12:30 下山開始
12:55 カンクラ雪渓展望所
13:30 大倉山避難小屋
15:20 登山口
      (露天風呂)
16:30 大白川発
18:50 大和
      (かつ弥とんかつ定食1280円)
21:30 帰宅


 【白山北方稜線。白い】

 【別山方面も白い】

 【大倉尾根上部のダケカンバは散っている】

 【大倉避難小屋手前でピークが見える。左側が御前峰】

 【大倉山避難小屋。中は清潔に保たれ快適そうだ】

 【室堂の登りは雪深い】

 【室堂から御前峰を望む】

 【室堂から別山を望む】

 【乾いた岩の上は暖かく快適だ】

 【紅葉越しに三方崩れ山を望む】

【黄色く染まったブナ林を下る。ずっと歩いていたい感じ】

2012年10月24日水曜日

大白川温泉(10.24)


三日前、天生峠の紅葉が素晴らしかったので、大白川温泉の紅葉も良かろうと出かけてみた。ついでに白山に登る作戦だ。大白川温泉は白山平瀬道の登山口で、名古屋から白山に登る場合最も近い登山口。今までここから何度も登っているけど、この紅葉の時期に登るのは初めてだ。

郡上八幡を越え、ひるがの高原にかかるころから周囲の木々は色づき始める。御母衣ダムを過ぎ平瀬温泉手前から左の白山公園線へ入る。この道のドン詰まりに大白川温泉がある。以前はかなり荒れた道だったけど、今は舗装も完璧の良い道だ。しかし、ところどころ狭くて落石の心配もある箇所も有る。

登るにつれて、紅葉はますます進んでくる。まさに紅葉最盛期。この白山公園線から大白川温泉の周囲がこの時点の紅葉最盛期。今まで見た紅葉の中で最も美しい紅葉の一つだった。

大白川温泉には良い温泉露天風呂がある。下の平瀬温泉はここからの引き湯と聞いている。湖畔には以前は大白川避難小屋があったけど、今は改装し白水湖畔ロッジとして営業している。昔の大白川避難小屋には木造りの渋い内湯があって、宿泊すると入ることが出来た。その風呂が良かったけど、今は内湯があるかどうか、確認してない。

とりあえず、外来入浴は湖畔の露天風呂となるので、300円払って露天風呂に向かう。ちょっと熱めの湯が溢れる。湖を挟んだ対岸の山の斜面に夕日が当たる。美しい紅葉だ。一緒になったキャンプ場の管理人アルバイトのオニイチャンも「今日が今までで一番美しい」とその紅葉に見入っていた。

入浴後、露天風呂の入口脇に温泉卵作成用の源泉が供給されているのを発見。案内によればロッジで卵を販売しているらしい。早速、卵2個購入。ロッジのオニイチャンから「15分から20分で出来ます」と聞き、18分ぐらいで回収。ちょっと、硬かった。次回は15分ジャストで再挑戦してみたい。場合によっては持参の卵で、これは反則かな・・・。

その夜は、駐車場で車中泊。寒かった。冬用のシュラフを初めて使った。厳冬期、大雪の諏訪湖畔で車中泊したときよりも寒かった。まだ体が寒さに慣れていないからかもしれない。今年は暑い夏から、あっという間に寒い冬になった感じだね。(2012.10.24)

◆行動記録
10:50 春日井(給油)
12:50 郡上八幡(72キロ)
14:30 平瀬温泉分岐(139キロ)
15:20 大白川温泉(152キロ)

 【平瀬温泉手前の大白川温泉への分岐にある情報版。間もなく閉鎖になると思うけど、詳細は未確認】

 【白水の滝への紅葉】

 【白水の滝。逆光のため私のバカチョンデジカメでは上手く撮れない。写真より実物のほうが数段美しい。】

 【大白川温泉露天風呂から対岸の紅葉を望む。逆光ではないけど私のバカチョンデジカメでは上手く撮れない。写真より実物のほうが数段美しい。】

 【温泉卵作成施設】

 【ロッジで温泉卵を頼むと塩とスプーン、カップが付いてくる。1個100円】

【白水湖畔ロッジ遠景】

2012年10月23日火曜日

天生峠(10.21)


天生峠は飛騨白川村と河合村を結ぶ国道360号線の峠。「あもう峠」と読む。昔から紅葉の名所として知られている。そこに最初に訪れたのは、今から20年近く前。紅葉の時期ではないけれど、雪が融け国道が開通した直後の季節だった。その峠から籾糠山へ登るために、前夜、駐車場の休憩所で宴会後仮眠した。とても山深い感じで、泉鏡花の「高野聖」の話ともあいまって、ちょっと不気味な気分だった。当時は今のように開発も進んでなくて、天生湿原の横に付けられた登山道を水芭蕉を踏み分けて歩いたことを思い出す。

その後、何度も訪れているけど、紅葉の時期にジャストフィットしたことはなく、私にとっては伝説の紅葉の名所となっていた。今年は冷静に出撃を計画。「時期良し」「天候良し」「体調良し」の「三方良し」を近江商人風に確認後、朝5時起きで6時20分加子母を出発。国道41号線を北上する。古川の先で白川方面へ左折。

走るに従い、ところどころに赤く染まった木々が見られるが、まだまだ紅葉には早い感じ。年によっては綺麗に色づく前に枯れ落ちてしまう紅葉も多く、今年の紅葉状況に不安がつのる。しかし、峠への登りにかかるころ、綺麗に染まった木々が増えてきた。高度を上げるに従い、紅葉の度合いも進んでくる。峠の駐車場に着くころには周囲は素晴らしい紅葉が広がっていた。

その駐車場には予想以上の数の車が止まっている。隅には屋台も出て岩魚の塩焼きなんぞも売っている。やっぱり天生峠はこの地域では紅葉の名所として有名なのだ。周辺には遊歩道が整備されのんびりハイキングも楽しめる。

靴を履き替え、天生湿原からブナの原生林の間を巡る遊歩道を歩いてみた。湿原周囲の紅葉も素晴らしかったけど、ブナの巨木の間に差し込む光に照らされた紅葉はとても美しかった。天生湿原の休憩所ベンチでカメラを構えているベテラン風オッチャンに今年の紅葉状況を聞けば、「例年と同じぐらいかなー。ただナナカマドの赤が今年は出てない」とのこと。この紅葉にナナカマドの赤が加わったらさぞ美しいだらーなー・・・。遊歩道の入口で「環境整備推進協力金」500円を求められたが、納得の500円であった。(2012.10.21)

◆行動記録
 6:20 加子母発
 9:00 天生峠
      入山料:500円
11:20 同発
      (天生湿原周辺徘徊後)
16:50 春日井
      (春日井周辺に若干の渋滞)

 【青空バックに楓が映える】

 【駐車場は大混雑】

 【天生湿原の紅葉】

  【天生湿原の紅葉】
【ナナカマドの赤が出てない(地元事情通談)】


 【原生林の紅葉】

 【ブナの巨木に蔦が絡む】

 【水芭蕉群生地の紅葉】
【当然、水芭蕉は咲いてないけど】

【快適なベンチも多数ある】

中山道[大湫>御嵩](10.19)


前回歩いた大井宿から大湫宿までの中山道が面白かったので、その先、大湫宿から御嵩宿まで歩くことにした。この区間は、昔は中山道として栄えたのだが、現在はほとんど忘れ去られた存在の地域だ。現在の国道19号線は恵那からの山沿いのこのコースを避けて、土岐川に沿った平地に付けられている。さらにJR中央線も並行して走っている。当然、人家もこの地域に移り賑わいも移っている。このルートは昔は中山道の下街道と呼ばれ、中山道と尾張を結ぶ街道だったようだ。その道は内津峠を除き、平坦な道が続くので旅人も多かったようだ。

なぜ、平坦な道を避け、急峻とは言わないけど、山の中のアップダウンの多い場所を選んで街道としたかについては「軍事的な理由もあった」と、道脇の説明文にあった。その中山道の宿場町を保護する意味からも「尾張藩は下街道の商業利用の通行を制限した」との記載もあった。

それやこれやで、明治以降、合理的な考えを推し進めていけば、このルートがすたれてしまうのは必然だったのかもしれない。そのせいで、この旧中山道には街道沿いの古い遺構も多数残っていて、なかなか興味深い。

私の持っているガイドブック「中山道を歩く旅」には大湫から御嵩へのコースは一泊二日がお勧めと書いてある。秋の日は短い。出発も遅れたのでJR釜戸駅から大湫宿まではタクシーとする。釜戸から大湫は急激な登り。その道の周辺にはもみじの木が多く、紅葉の盛りにはさぞ美しかろう。近くには竜吟の滝もあり、釜戸駅から竜吟の滝、琵琶峠を巡るハイキングコースもある。

大湫宿から数分歩くと琵琶峠へ石畳の道が始まる。ここの石畳は大きな石が敷き詰められている。したがってとても歩きやすい。苔むした石畳を一人歩くのは味わい深い。あっさり琵琶峠到着。峠は展望もなく、路傍に小さな馬頭観音様があるばかり。横に「展望台へ」との標識があったけど、出発が遅かったので先を急いだ。したがってどんな展望があるのかは確認してない。

細久手宿には大黒屋と言う旅籠が残っている。現在でも営業中で民宿料金で宿泊可能とのこと。泊まった事がある人の話では立派な建物で良いらしい。ガイドブックにも「泊まるべし」との記載もあった。しかし宿泊には事前の予約が必要らしい。機会があれば泊まってみたいものだ。

時間に追われて先を急いで歩いた結果、御嵩には夕方4時前に着いた。道中も大湫から御嵩へ向かう場合、基本的には下りとなる。以前に歩いた大井から大湫までの区間に比べ、たいしたアップダウンもなく、楽しい道だった。最後のちょいとした下り坂「牛の鼻かけ坂」の説明文に「この坂が木曽の山間部と美濃の平野部の境となる」との記載もあり、ここから開けた平地に入ると言う事らしい。

御嵩は竹屋という商家が保存公開されており見どころも多い。その隣の願興寺は想像以上に大きな寺だった。御嵩は中山道の宿場町と同時に願興寺の門前町でもあったらしい。しかし、願興寺には往時の賑わいは無いようだ。

歩く前はJR中央線の恵那・瑞浪地域と名鉄・広見線の御嵩とはまったく離れた地域と思っていたけど、中山道を歩いてみれば、すぐお隣の地域であったこと再認識した秋の一日だった。(2012.10.19)

◆行動記録

 9:24 JR春日井駅
      (JR釜戸まで650円)
10;02 JR釜戸
10:25 大湫
      (1300円タクシー)
10:45 琵琶峠
12:15 細久手
13:10 鴨之巣一里塚
14:00 御殿場展望台
      (樹木に遮られ展望なし)
15:10 泉式部廟所
16:00 御嵩
      (新名古屋まで名鉄960円)
16:59 御嵩発
18:14 新名古屋
      JR春日井前の居酒屋で一人打上げ
      (1900円)

【琵琶峠への石畳】

 【琵琶峠の馬頭観音】

 【途中、なぜか稲を食べる牛がいた】

 【細久手宿手前の弁財天の池】

 【細久手宿大黒屋の軒裏にツバメの巣が・・・】

 【和宮御殿場近くにあるカフェ&ケーキの店「ラ・プロヴァンス】
【帰宅後、その地域の事情通から地元では有名な店と聞いた】
【平日にもかかわらず行列のできる店だった】
【そのほとんどが女性】
【旦那連中は500円以下の弁当を食べているのに・・・】

 【途中、竹やぶの中に崩れかけの小屋発見】
【うーん、渋い】

【謡坂の石畳(復元)】

 【御嵩にある和泉式部の廟所】
【和泉式部ゆかりの地は熊野古道でも見た】
【遠い昔の女性トラベルライターと言ったところかな?】

 【御嵩の商家・竹屋】
【入場無料、当然入場】
【立派な建物が保存公開されている】

【御嵩・願興寺】
【仏像の拝観も可能だが、夕方近かったので拝観しなかった】

2012年10月14日日曜日

ベリーダンス(2012.10.14)


ベリーダンスショーを見た。場所は栄某所のカレー屋さん。ナンとカレーを食べての鑑賞となった。観客はほとんど女性。ベリーダンス教室の生徒さんがほとんどらしい。その教室のトルコ人大先生の踊りが今回のメインエベントらしい。

私にとってベリーダンスとは、怪しくゆれる蝋燭の灯かりに、怪しくくねる女性の肉体、複雑なリズムのペルシャ的音楽などを、怪しい気分で、怪しく酔いつつ見るのかと思っていた。さらに、子供のころ絵本で見たアラジンの魔法のランプ、アリババと40人の盗賊などなど、私の理解の対局に有るイスラム文化の象徴的なシーンを思い描いていた。

しかし、初めて見たベリーダンスは観客から手拍子なんぞも沸き起こり、男性のダンサーも登場し、観客も舞台へ上がるなど、きわめて明るい。そしてその観客達の屈託の無い笑い顔はAKB48のステージを彷彿させる。しかしAKBを見たことが無いので、それが的を得ているのかどうか判らない。単なる印象で失礼しました。【写真は肖像権の問題もあるので掲載しなかった】

2012年10月13日土曜日

薪ストーブ(2012.10.13)


今から10年ほど前、田舎暮らしにあこがれて作った作業小屋。実際には山の友人達と酒を飲むための小屋と化している。その暖房対策として当初想定していたのは「囲炉裏」。屋根に空気抜きの隙間も作った。

しかし、実際使用してみると、あまりに煙い。宴会参加者全員、姿勢を低くし煙を避けての宴会が続いた。結局、数年で「囲炉裏」は断念。日本の田舎から「囲炉裏」なくなった理由がよく分かった。その囲炉裏の代わりに導入したのがブリキ製の薪ストーブ。値段は3000円台。通常、薪ストーブと大手を振って言うことが出来るのは、外国製でウン十万はするものだ。したがってこの3000円台のブリキ製ゴミ焼機風ストーブを薪ストーブと呼んでいいのかどうか判らない。

そのブリキ製薪ストーブは煙突から伝わってきた雨水によって錆びてきた。煙突はステンレスなのでまだ問題は出てないけど、煙突設置時の屋根と煙突の隙間が空いていたのが原因だ。

そんな訳で、鋳物のちゃんとした薪ストーブを導入することとした。しかし、今風のコジャレタ薪ストーブは二重煙突もつけると100万近くもするらしい。そんな趣味は私には無い。当然、お金も無い。ホームセンターに中国製薪ストーブを発見。値段は34800円。

その薪ストーブは設置に苦労した。なんせ100キロ近い鋳物。一人では運べない。さらに煙突は既存の物を使う計画。接続部分の高さが違う。煙突を切らねばならぬ。ステンレスの煙突の切断は素人には難しい。たとえ煙突の切断に成功しても重いストーブの煙突接続部分(高さ10センチほど)を既存煙突にはめ込むことも難しそうだ。

それやこれやの諸問題もいろいろな人に助けてもらい、なんとか設置完了。新しい薪ストーブに火を入れた。これで、ちょっとだけ「北の国から」に近づいた気分だが、気のせいかもしれない。

 【ビフォー】

 【アフター】

【ステンレス煙突の切断、工具は重要だ。金切バサミでは難しい】

2012年10月12日金曜日

湯俣温泉(2012.10.12)


前夜、登山口の七倉駐車場で車中泊。この季節、夜明けは遅い。ゆっくり朝寝が楽しめる。明るくなっても寝袋から出ることも無くグダグダしている。今日の行動は時間は長いものの、お散歩気分の湯治的ハイキング。緊張感はまるでない。朝食のコーヒーを飲みつつ持参のおにぎりをほおばっていると、タクシーが入ってきた。七倉からは一般車は通行禁止だがタクシーは高瀬ダムまでは入れる。ここで、昨夜から軟弱になった私に更なる軟弱アイディアが降りてきた。高瀬ダムまでタクシーに乗れば2時間程度の時間が節約できる。しかし経済的には負担が増える。

タクシーの運転手に料金を聞けば、2100円とのこと。時給1000円のアルバイトをするかどうか?の判断を迫られているわけだが、太っ腹の私はタクシーに乗ることにした。当然、帰りは歩いてくるけどね。これにより高瀬ダムの登りは避けられる。高瀬ダムは巨大なロックフィルダムだが、そのダムの斜面を電光を切って道路が取り付けられている、珍しい構造のダムなのだ。

高瀬ダムから歩き出す。長いトンネルを抜けるとダム湖の脇の林道が続く。太陽が昇るにつけ対岸の山々が明るくなってくる。烏帽子から野口五郎の裏銀座コースの稜線が美しい。周辺の紅葉には一週間から10日程度早いと思われるが、タクシーの運転手から聞いた、烏帽子からの下山者の話として「今年は烏帽子の紅葉が良かった」とのこと。涸沢、室堂、烏帽子など高山の紅葉は今年は良かったらしい。稜線には雪も降っているしね。しかし、高瀬ダム周辺の1500mの紅葉はイマイチの感じ。なかなか紅葉は難しい。

のんびり歩きつつも、良い加減うんざりしたころ、湯俣温泉到着。山小屋・晴嵐荘は小屋閉めの真っ最中。17日に小屋閉めだとか。小屋の内湯に入りたい旨、伝えると、今から掃除をして温泉を入れてくれるとのこと。それまで、周囲を散策することにした。

とりあえず、有名な墳湯丘を目指す。小屋から徒歩10分。その近くには入浴可能な河原の温泉もあるとの話なので、バスタオル片手に向かってみる。河原から湯気が立ち昇っている。その先にくだんの墳湯丘があった。想像以上に立派な、白いイスラムモスク風の岩の頭から湯と湯気が立ち昇る。自然の驚異を感じてしまう。河原の露天風呂も発見したが、川からの水が流入するにもかかわらず、非常に熱い。あつ湯好きの私としても、このままで入るのは無理。川からの水量を増やす土木工事をするのもめんどくさいので河原の露天風呂に入浴するのは諦めた。

その後、小屋番のオヤジに勧められた展望台に向かってみる。その展望台が素晴らしかった。湯俣温泉の横から裏銀へ座コース向かう竹村新道を30分ほど登った展望台は槍の北鎌尾根の展望台といっても過言でないほど北鎌尾根を見るのに良い。今まで常に横から北鎌のギザギザを眺めることは多かったけど、北側から真っ直ぐに眺めるのは初めてだ。改めて、北鎌尾根の大きさを感じる。槍へのバリエーションルートとしてのルートファインディングは難しそうだ。加藤文太郎はここで死んだのか、などと、イロイロ感じることが多かった。

この湯俣温泉は、私が高校一年の夏山登山で燕から槍までの表銀座コースを歩いたとき、燕から見下ろした深い谷の底にある。その時「この谷の底には何があるのだろう?いつか行ってみたい」と思っていた。あれから50年、その間の人生まで思い巡らしてしまった。

と言いつつも、小屋に戻り、ビールと晴嵐荘の一番風呂。気持ちが良かった。その後、のんびり高瀬ダムまで戻ったころ、稜線に太陽は沈んだ。しかし太陽とは反対側の餓鬼岳から唐沢岳の稜線は明るく、その紅葉は美しかった。

◆行動記録
 6:30 タクシー2000円
      この時期6時から進入可能
      (夏は5;30から)
      (秋は8:00から)
 6:45 高瀬ダム
 7:20 東沢出合い
 7:55 林道終点
 8:20 名無避難小屋
 9:30 晴嵐荘(17日小屋閉)
      ビール600円
      入浴500円
12:45 発
13:35 名無避難小屋
14:00 林道終点
14:40 東沢出合
15:20 高瀬ダム
16:40 七倉登山口
18:00 三郷
      給油(308 キロ)
22:20 帰宅

 【朝の光が裏銀座方面の稜線を照らす】

 【最初は平坦な林道を歩く】

 【林道が終わると管理された山道】

 【湯股温泉・晴嵐荘が見えてきた】

 【墳湯丘】

 【川の中の岩からも湯が噴出している】

 【河原の露天風呂、熱い】

 【展望台から見た北鎌尾根、写真の一番高いピークの右奥が槍ヶ岳山頂】

 【展望台から見た双六岳方面】

 【展望台から見た墳湯丘方面】

 【晴嵐荘内湯】

 【帰り道、高瀬ダム湖越しに見た船窪岳方面】

 【高瀬fダムに[戻ったとき稜線に日が落ちる】

 【高瀬ダムの七曲、実際には第5コーナーまでなので五曲がりか】

【高瀬ダムを下ったとき見た、夕日に輝く唐沢岳(かな?)】