前回歩いた大井宿から大湫宿までの中山道が面白かったので、その先、大湫宿から御嵩宿まで歩くことにした。この区間は、昔は中山道として栄えたのだが、現在はほとんど忘れ去られた存在の地域だ。現在の国道19号線は恵那からの山沿いのこのコースを避けて、土岐川に沿った平地に付けられている。さらにJR中央線も並行して走っている。当然、人家もこの地域に移り賑わいも移っている。このルートは昔は中山道の下街道と呼ばれ、中山道と尾張を結ぶ街道だったようだ。その道は内津峠を除き、平坦な道が続くので旅人も多かったようだ。
なぜ、平坦な道を避け、急峻とは言わないけど、山の中のアップダウンの多い場所を選んで街道としたかについては「軍事的な理由もあった」と、道脇の説明文にあった。その中山道の宿場町を保護する意味からも「尾張藩は下街道の商業利用の通行を制限した」との記載もあった。
それやこれやで、明治以降、合理的な考えを推し進めていけば、このルートがすたれてしまうのは必然だったのかもしれない。そのせいで、この旧中山道には街道沿いの古い遺構も多数残っていて、なかなか興味深い。
私の持っているガイドブック「中山道を歩く旅」には大湫から御嵩へのコースは一泊二日がお勧めと書いてある。秋の日は短い。出発も遅れたのでJR釜戸駅から大湫宿まではタクシーとする。釜戸から大湫は急激な登り。その道の周辺にはもみじの木が多く、紅葉の盛りにはさぞ美しかろう。近くには竜吟の滝もあり、釜戸駅から竜吟の滝、琵琶峠を巡るハイキングコースもある。
大湫宿から数分歩くと琵琶峠へ石畳の道が始まる。ここの石畳は大きな石が敷き詰められている。したがってとても歩きやすい。苔むした石畳を一人歩くのは味わい深い。あっさり琵琶峠到着。峠は展望もなく、路傍に小さな馬頭観音様があるばかり。横に「展望台へ」との標識があったけど、出発が遅かったので先を急いだ。したがってどんな展望があるのかは確認してない。
細久手宿には大黒屋と言う旅籠が残っている。現在でも営業中で民宿料金で宿泊可能とのこと。泊まった事がある人の話では立派な建物で良いらしい。ガイドブックにも「泊まるべし」との記載もあった。しかし宿泊には事前の予約が必要らしい。機会があれば泊まってみたいものだ。
時間に追われて先を急いで歩いた結果、御嵩には夕方4時前に着いた。道中も大湫から御嵩へ向かう場合、基本的には下りとなる。以前に歩いた大井から大湫までの区間に比べ、たいしたアップダウンもなく、楽しい道だった。最後のちょいとした下り坂「牛の鼻かけ坂」の説明文に「この坂が木曽の山間部と美濃の平野部の境となる」との記載もあり、ここから開けた平地に入ると言う事らしい。
御嵩は竹屋という商家が保存公開されており見どころも多い。その隣の願興寺は想像以上に大きな寺だった。御嵩は中山道の宿場町と同時に願興寺の門前町でもあったらしい。しかし、願興寺には往時の賑わいは無いようだ。
歩く前はJR中央線の恵那・瑞浪地域と名鉄・広見線の御嵩とはまったく離れた地域と思っていたけど、中山道を歩いてみれば、すぐお隣の地域であったこと再認識した秋の一日だった。(2012.10.19)
◆行動記録
9:24 JR春日井駅
(JR釜戸まで650円)
10;02 JR釜戸
10:25 大湫
(1300円タクシー)
10:45 琵琶峠
12:15 細久手
13:10 鴨之巣一里塚
14:00 御殿場展望台
(樹木に遮られ展望なし)
15:10 泉式部廟所
16:00 御嵩
(新名古屋まで名鉄960円)
16:59 御嵩発
18:14 新名古屋
JR春日井前の居酒屋で一人打上げ
(1900円)
【琵琶峠への石畳】
【琵琶峠の馬頭観音】
【途中、なぜか稲を食べる牛がいた】
【細久手宿手前の弁財天の池】
【細久手宿大黒屋の軒裏にツバメの巣が・・・】
【和宮御殿場近くにあるカフェ&ケーキの店「ラ・プロヴァンス】
【帰宅後、その地域の事情通から地元では有名な店と聞いた】
【平日にもかかわらず行列のできる店だった】
【そのほとんどが女性】
【旦那連中は500円以下の弁当を食べているのに・・・】
【途中、竹やぶの中に崩れかけの小屋発見】
【うーん、渋い】
【謡坂の石畳(復元)】
【御嵩にある和泉式部の廟所】
【和泉式部ゆかりの地は熊野古道でも見た】
【遠い昔の女性トラベルライターと言ったところかな?】
【御嵩の商家・竹屋】
【入場無料、当然入場】
【立派な建物が保存公開されている】
【御嵩・願興寺】
【仏像の拝観も可能だが、夕方近かったので拝観しなかった】
0 件のコメント:
コメントを投稿